生誕地の渡城址(岡崎市渡町東浦) 鳥居 元忠(とりい もとただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。下総矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。 生涯[編集] 天文8年(1539年)、松平氏の家臣・鳥居忠吉の三男として三河国碧海郡渡郷(愛知県岡崎市渡町)に生まれる。 父は岡崎奉行などを務めた岡崎譜代で、元忠も徳川家康がまだ「松平竹千代」と呼ばれて今川氏の人質だった頃からの側近の一人で、天文20年(1551年)から近侍した[9]。柴裕之は元忠が13歳(天文20年)から家康に仕えていたとする『寛政重修諸家譜』の記事が正確であることを前提として、弘治元年(1555年)に家康が14歳で元服して今川義元から偏諱を与えられて「松平元信」を名乗った際に3歳年上の元忠も同時に元服・偏諱授与の栄誉を受けたのではないかと推測している[10]。家康の三河統一後、旗本先手役となり旗本部隊の将として
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