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天安門事件に関するhoshiminのブックマーク (3)

  • 趣味のWebデザイン - 勇み足にご注意:天安門事件をめぐる攻防

    ミイラ取りがミイラ 町山智浩アメリカ日記 2004-03-13 天安門広場では誰も死傷しなかったかもしれない。ただ、場所は広場の外かもしれないが、「いわゆる天安門事件」において319人が亡くなったことは、中国政府が発表している通りである(Wikipedia)。 町山さんの書き方は勝谷さんと大差ない。記事の主眼は理解するが、だからといって広場の外で(公式発表の数字においてさえ)319人もの方が亡くなっていることをきちんと書かないのは、いささかバランスが悪い。コメント欄を見ると、事件に犠牲者がいなかったと勘違いしている人がいる。広場の外では、大勢が死んだのだ。その事実が、伝わっていない。町山さんは、誤解を解こうとする記事によって、新たな誤解を生んでいる。皮肉な話である。 参考 89年天安門事件における「虐殺」説の再検討(必読) 「天安門広場の虐殺」伝説の創出・伝播とその破綻 19890604(

  • 町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13

    インチキというものは、放っておくと、トンデモないことになるという話。 天安門事件を覚えているだろうか。1989年、北京の天安門広場に集まった民主化を求める学生たちを人民解放軍が虐殺した、とされる事件だ。 「とされる」としたのはウソだからだ。当時、現場に最後まで残った朝日新聞の記者と、スペインの国営TV局の記者が後に「学生たちは安全に広場から退去し、一人の死傷者も出なかった」と証拠のビデオを提出し、世界のマスコミは天安門広場の虐殺は誤報だったと撤回修正した(死傷者が出たのは広場の外である)。 詳しい資料です。 http://sng.edhs.ynu.ac.jp/lab/murata/murata-tian'anmen2.html これも追加。この記事がとてもわかりやすいのでぜひ読んでください。 http://gregoryclark.net/jt/page42/page42.html ここが

    町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13
  • あのときのこと。

    何年経っても、この時期になるとさざなみ立つような感情から逃れることができません。 6月4日は天安門事件(六四)17周年です。 いまこれを書いている6月3日夜、1989年はこの時点ですでに人民解放軍の市民・学生に対する無差別な実弾射撃が始まっていたかと思います。正規軍が、完全武装の歩兵が自動小銃を空に向けてではなく、自国民めがけて直接実弾を発射したのです。 装甲車(歩兵戦闘車?)や戦車までが投入され、「先鋒として敵陣突入」という役目通りのことを行いました。あのキャタピラに轢かれて両足を失った学生もいれば、人間としての形を留めずに文字通りミンチにされてしまった人もいます。もちろん身元などわかろう筈がありません。 歩兵による射撃にはダムダム弾が使用されたとも言われています。誰が書いたものか、色々読んだので忘れてしまいましたが、当時現場にいた大学生の手記の中に、 「畜生、奴ら『開花弾』を使いやがっ

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