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  • こんな最低な男と付き合っていたなんて自分が恥ずかしいです - ヒロニャン情報局

    付き合った男性のなかで一番最低だなと思った人がいます。 彼とは社会人のスポーツサークルで知り合いました。 背が高くてイケメンなのでモテますし、カッコイイから気になっていました。 でも、軽そうだなと思って距離を置いて見ていたんです。 ある日、サークル活動が終わった後みんなで飲みに行くことになり、飲み会で彼と色々と話すことで、意外と誠実で素敵な人なんだとわかり、好きになってしまいました。 彼はすごく女性の心をつかむような話し方、表情をする人なんです。 モテオーラがすごくて、恋愛に慣れていない私は彼にすぐに夢中になってしまいました。 彼から告白された時、かなり不安はありましたが、好きだったのでOKしたんです。 浮気されたらすぐに別れようという気持ちで付き合い始めました。 付き合い始めると、彼のひどいところがいっぱいわかってきたんです。 デートの待ち合わせ時間には絶対に遅刻し、ひどい時には一時間も

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  • 友人とのトラブル - ヒロニャン情報局

    私は、45歳の女性です。 私のトラブルの相手は、同い年の友人です。 彼女とは、高校の時からの付き合いで、社会人になり、偶然同じ職場で働いてから、なにかと連絡を取り合うようになったんです。 最初は、一緒にお茶を飲んだり、映画を観たり、まるで学生時代に戻ったかのように楽しい日々でした。 その関係性が崩れたのは、あるアクセサリーが原因でした。 私は、たまたま見かけた、可愛いハートのイヤリングを購入したんです。 すると、1週間後。彼女の耳には同じハートのイヤリング。 偶然?と、思ってあまり気にしなかったんです。 ですが、その後もシャツやデニム、財布、バック。 私が新調した物を、すべて彼女が真似るんです。 それも、1週間以内に。 別の友人相談しても、「気にすることない」と言われるのですが、やはり気になってしまい、思いきって彼女に言ったんです。 真似をしないでと。 すると、それが彼女にはとても屈辱的

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  • 義母の介護で心身ともにボロボロに。 - ヒロニャン情報局

    義母の介護で心身ともにボロボロに 義母は現在83歳です。10年ぐらい前から同居をしていますが、最初の頃は足腰もしっかりしていて特に介護の必要もないほどの状態でした。 ですが、ここ1年ぐらいで急激に認知症が悪化し、家事なども全くできなくなってきました。 ・義母が入院 そうこうしているうちに、夜中にトイレに行った時に、足元が見えなかったらしく何かにつまづいてそのまま廊下で転倒してしまいました。 その際に起き上がれなくなるほど痛みがあったのでやむなく救急車を呼んで病院に搬送してもらいました。 レントゲンの結果、大腿部骨折をしていることがわかりそのまま即入院となり、数日後には骨折を接合する手術をしていただきました。 そして3週間の入院のあと回復リハビリ病院へ転院して2ヶ月半のリハビリを受けました。 そこで歩行器を使いながら歩行することができるようになるまで回復し、先月自宅に戻ってきました。 ・長期

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  • 私が一生許せないと思った話 - ヒロニャン情報局

    私は現在45歳の女性です。 私には、一生許せないと、今でも怒りがおさまらない話があります。 それは、私がまだ20代前半の頃のことでした。 当時、大手レンタルビデオ店でアルバイトをしていた私には、片想いをしている男性がいました。 それは、向かいの花屋で働いている男性でした。 出会いは、友人の誕生日に花を購入するために入ったことがキッカケでした。 特にイケメンというわけではなかったのですが、優しそうな話し方に、私は心惹かれるものがありました。 それからというもの、週に1度は花屋に行って、花を購入してたんです。 名札を見て、名前がTさんだとわかっただけでも嬉しくて、私はどんどんその男性が好きになっていきました。 そのことをある日、E子に見破られてしまったのです。 バイト先で知り合ったE子は、20代前半で、私は彼女を妹のように可愛がっていました。 E子は私が奥手で心配だと言って、いろいろとアドバイ

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  • 祖母が介護士による詐欺にあった - ヒロニャン情報局

    祖母が介護士による詐欺にあった 私の祖母のお話になりますが詐欺被害にあったことがあります。 事の経緯としては、デイケアの介護サービスの介護士の方に、祖母が私の不在の間に現金の入っている通帳及び、印鑑を預けてしまいそのまま持ち逃げされてしまったというお話です。 何でも祖母は、通帳を複数所持していてそれらの管理が大変であろうということで一つにまとめておいた方が後々何かあった際、お金を引き出すことが容易であるということを介護士さんが話したらしく、それを信用して私がいない間に印鑑と通帳をすべて渡したということです。 何故、祖母が勝手にそのようなことをしたかについては、多分ですが、私と折り合いが悪く、その介護士さんの方のほうが信用できると判断したのでしょう。 ・すでに介護士さんと連絡がつかない 一向に介護士さんが帰ってこなくなってから事の次第が判明し、警察と介護施設に連絡するとすでに介護士さんと連絡

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  • 夫の借金で半狂乱に・・ - ヒロニャン情報局

    私は結婚16年目の専業主婦です。 夫と中学生の長女、小学生の長男の4人で平凡ながらも幸せな結婚生活を送っていました。 ある日、郵便ポストに郵便物を取りに行くと、夫宛に○○銀行からハガキが届いていました。 ○○銀行は利用していないし、夫からもその銀行の口座を持っているなど聞いていませんでした。 私は嫌な予感がして、ハガキの中身を見ると、このハガキが督促状であることが分かりました。 しかも、300万円の借入があり、毎月の返済額が6万円で、返済が遅れているためにハガキが送られてきた事を知りました。 夫が帰宅したところで、ハガキを見せ、「これは、一体どういうこと?」と夫を問い詰めました。 夫は「知らない」の一点張りでとぼけていました。 しかし、毎月6万円の返済などできるわけがないので更に問い詰めたところ、夫が「うるさい、俺の勝手だ」と逆ギレし、私を突き飛ばしました。 私は、なぜ自分が怒られなければ

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  • シンプルライフを目指して家具を捨てる - ヒロニャン情報局

    シンプルライフを目指して家具を捨てる 家具は大きくて持ち運びが大変なので捨てにくいです。 捨てるとなると料金がかかることも、捨てにくくさせている要因です。 ・思い切って家具を処分 しかし、シンプルライフを目指しているのでできるだけ家具を少なくしようと思って、思い切って家具を捨ててみました。 自宅にはもらいものの器がいくつもあります。 それらはまったく使っていないのですが、もらったものだから、お客さんが来たら使うかも、といった理由でとってありました。 普段使う器は取り出しやすい場所に収納し、使わない器は器棚の上の方など台がないと取り出せないような場所においてあります。 これまで使ってこなかった器は、これからも使うことがほとんどないと考えられます。 これまで10年くらい使っていなかったものもあるのです。 この使っていない器を捨ててしまえば、器棚を1つ捨てることができます。 普段使

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  • 震災でPTSDを発症して・・ - ヒロニャン情報局

    私が、30代の頃。2011年3月11日に東日大震災がありました。 あれからもうじき10年になります。 復興は少しづつ進み、今ではがれきもあまり見ません。 私の家族や自宅は被災を免れたものの、電気などのライフラインが止まり情報もない中での生活は不安で仕方ありませんでした。 あの頃は、お風呂に入れなくても火がなくても日々の生活に必死でスーパーにも並んで入るのが当たり前で車もガソリンが手に入らず皆が歩いて生活していました。 少し時間が経ってテレビが点いた頃には震災の情報など少ししか流れず、当時の映像はYouTubeなどで見ました。 波の大きさや、流れる家々、流されて行く人などを見てはじめて物凄い事が起きた事を知り愕然としました。 仕事を失くした私は緊急雇用制度で避難所で働く事になりました。 あの頃はとにかく皆が様々な感情を抱えたまま必死に生きていたんです。 避難所も閉鎖になり、被災した人が仮設

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  • 母の嘘の意味を知った時・・ - ヒロニャン情報局

    人生うまくいっていないと感じて、毎日憂な気持ちで過ごしていました。 信頼していた夫が浮気をしていることを知ったり、子供がいじめにあって不登校になったり、パート先ではパワハラにあったりなど。 そんな苦しい時期があり、毎日のように母に電話をして愚痴を聞いてもらっていたんです。 母とは昔から友達のような親子で、何でも話せる仲です。父のことは苦手ですが、母のことは大好きでずっと甘えてきました。 夫の転勤で地元を離れて、実家は飛行機で移動しなければいけない距離になり、すごく寂しく感じていたんですよね。 独身時代、両親と同居をしている時、友人関係や仕事の愚痴などを母に聞いてもらっていましたが、結婚してからは母と会って気軽に話を聞いてもらえなくなったんです。 当時、当に毎日辛かったので、頻繁に母に電話をして話を聞いてもらいました。 母は嫌な顔をせず、何度も長時間電話に付き合ってくれました。そして、「

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  • 買い物大好きな私が始めた断捨離 - ヒロニャン情報局

    買い物大好きな私が始めた断捨離 アラフォーを超えて、周囲に大病をして亡くなる人や生活に大きな変化をきたしている人を目の当たりにすることで、いつ自分にも何があるかわからないと思うようになりました。 つい最近までは、ブランドバッグや洋服やが大好きで、買ったものを忘れてそのまましまってあるようなこともよくあるくらいの買い物好きだったのです。 断捨離が世界的なブームになっていることで、ミーハーな私はそこでもちょっと流行に乗ってみたい気持ちもあって、まずは身近な洋服から断捨離を始めることにしました。 ・洋服の断捨離 断捨離を始めるにあたって、クローゼット以前にそこからはみ出している外に出しっぱなしの服で、1年以上着ていないものをすべて処分しました。 近所に古い服などを無料で引き取ってくれる業者があるので、ごみ袋10袋以上のいらない服は、そちらにもっていきました。 まだ価値があって需要がありそうなも

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  • 最低な家庭教師 - ヒロニャン情報局

    私は、現在45歳の女性です。 これは、私が体験した最低の家庭教師との日々のことです。 私は、小学校のときにいじめにあっていて、6年生のときに登校拒否をしました。 そのため、中学ではなかなか勉強に追い付けず苦労しました。 塾に行くのも抵抗感があった私に、両親が家庭教師をつけてくれました。 たまたま父親の仕事仲間の娘さんが、家庭教師をしていたんです。 有名な大学を卒業したという、20代の女性で、とても綺麗な人でした。 おしとやかな印象でしたし、教えかたもとても上手で、私も両親も安心しました。 ところが、その素顔はかなり最低でした。 母親がいるときは、真面目に私の勉強を見てくれているのですが、母が用事で外出すると、途端に態度がガラッと変わるのです。 参考書を床に放り投げ、私に自習しているように言うと、勝手に私の漫画を読み始め、わからないところを聞くと、参考書を投げつけてきて、自分で調べるように言

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  • 親に完全依存の節約 - ヒロニャン情報局

    親に完全依存の節約 知り合いの娘さんの節約ケチぶりです。 その娘さんは、結婚していますが、毎日実家に来ています。 実家で何をするかというと、料理を作ります。実家の材を使い、実家の両親に作ってあげています。 ご両親の買い物に毎日付き合ってあげて、親の面倒をしっかりみる素晴らしい娘さんです。 ・全く違う内情 でも、ご両親から話を聞くと内情は全く違いました。 娘さんが実家で行う料理は、半分は自宅へお持ち帰りです。 作ったのだからそれはそれでも良いかもしれません。しかし、材も半分は持って帰ります。 どういうことかというと、まず、その半分の材を使って料理をして、作った料理と残った材を持って帰るようです。 例えば、サラダを作ったとします。ツナ缶を半分だけ使ってサラダを作り、その作ったものを持って帰る。 さらに、その娘さんは残らせたツナ缶半分も持って帰り、それを使って実家でさらに料理をして、家族

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  • 在宅ワーク詐欺にあった過去 - ヒロニャン情報局

    今では在宅ワーク詐欺という言葉が当たり前にありますが、まだそような言葉が当たり前ではなかったとき、私は在宅ワーク詐欺にあってしまいました。 まだ実家にいたときのこと。 私は仕事をしながら実家の家計なども背負っていたのでお金は常に足りない状態でした。 そのため、こっそりバイトなどをしようかとも考えましたが、時間が不規則ということもあり、なかなかバイトを探すことが出来ず、そんな時に雑誌に掲載されていた在宅ワークという広告が目に入り、資料請求をしました。 その在宅ワークはテープを聞いて文字にするという、文字起こし仕事で、文章に携わることが出来る仕事ということで空き時間に出来るということに興味をもったのです。 資料には三ヶ月の研修後に仕事をもらえるので、元はしっかりと取り戻すことが出来るということで、私は研修を受けることにしました。 教材で三万円、添削などが行われるので三ヶ月の間は資格を取るため

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  • 不倫を経験しての人生やり直し - ヒロニャン情報局

    不倫を経験しての人生やり直し わたしは40代の会社員です。 大学を卒業して同じ会社の先輩と結婚をしましたがわたしが仕事で頑張りたい、彼はもっと家庭に入って欲しいというありがちな価値観の相違で3年で離婚を経験しました。 この離婚の時は30歳だったのでまだ何も深く考えることもなかったのですが・・。 実際にそのあともかるい気持ちで恋愛をしたこともありましたし、楽しく仕事もプライベートもすごしてきました。 ・人生を考え直すきっかけ しかし、人生を考え直すきっかけが40歳になってきたのです。それが不倫でした。 当たり前のことですが家庭がある方とおつきあいしたいという気持ちになったことはありませんでした。 かつ、恋愛対象からいかに素敵な方であろうとも最初から外れていました。 しかし、そんな価値観からはずれてしまうような素敵な男性が出てきたのです。 取引先の営業の責任者でした。 わたしのミスをうまく取引

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  • 新興宗教にハマっている知り合いの家に滞在した辛い経験 - ヒロニャン情報局

    私は若い時、様々な試練が立て続けに起こって、心も体もボロボロになっていた時期がありました。 そして少しずつでもそんな試練や困難を乗り越えていくために、自分なりに努力を重ねていました。 精神的には当に辛い毎日でしたが、小さな努力でもコツコツと頑張っていれば、きっと道は開けて行くはずだと信じながら努力をし続けました。 そんな時に出会った男性は私のことをとても大切にしてくれましたし、色んなサポートをしてくれましたので、私は彼のことを信じて頼るようになりました。 そして私たちは同棲をして、最初は仲良くして楽しい毎日を送っていました。 ですから彼と出会ったことによって、私の未来は明るくなっていくかもしれないと私は楽観視するようになりました。 私は当時、金銭的に苦しい生活をしていましたので、彼氏が家賃や生活費を支払ってくれていました。 それは当に有難い事でした。 ですが私たちは些細なことでケンカを

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  • 私を地獄から救ってくれた親友に感謝 - ヒロニャン情報局

    初めまして東海地区に在住の44歳女性です。 今回は私の人生において、人生を地獄から天国に転換させて、何とかやり直すことが出来た転職成功経験、逆に言えば、最初の就職失敗経験について、お話しさせて頂き、読者の皆様の参考に少しでもなれれば幸いと存じます。 それでは、よろしくお願いします。 最初に前述でも記載しましたが、私は最初の就職に失敗しました。 その結果、私は重度のうつ病になってしまいました。 そこからお話ししたいと思います。 私は小学校の頃から勉強や研究など、何かに没頭するのが好きでしたが、実家が団地住まいで貧乏だったので、中学時代から女性と言うこともあるし弟もいて、お金がかかるからお前は大学は無理だと言われていました。 そのため、高校を卒業したら直ぐに就職するのが、既に私の宿命でした。 そして高校では簿記や情報処理などの資格も取得しつつ商業科を首席で卒業後、地元の大手造船メーカーに就職し

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  • 父親の介護 - ヒロニャン情報局

    父親の介護 結婚して実家を出ているアラフィフの主婦です。 比較的近くに実家はあるので、親の様子を見に行っていました。 10年前に父親が脳梗塞で倒れました。 幸い軽めの症状で、リハビリで回復をしました。 退院後に、両親は二人の生活に戻りました。 ・父親が足を骨折 父親も自分でリハビリを始めて、散歩に出かけるようになり、安心していました。 ある日、出かけようとしてた所に、叫ぶ声が聞こえ、母親が駆け付けました。 すると、玄関先で転倒している父親を発見して、なんとか体を起こしたようです。 電話がありすぐに駆け付けると、どうも骨折しているようなので、慌てて病院に連れて行きました。 すると、足を骨折し、入院生活に舞い戻りました。 脳梗塞の影響もたたり、骨折が回復してもリハビリがうまく行かない状態でした。 人もやる気がなくなりどうしようもない状態でした。 ・介護 骨折なので、長くは病院にいることができ

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  • 離婚すると決めたなら、他人の意見に左右されてはいけない - ヒロニャン情報局

    これは私の母の話です。 母と父が知り合ったのは母の職場で、父は取引先の方だったそうです。 付き合い始めた二人はとても仲睦まじかったそうで、私が幼い頃自宅には母と父がデートしながら幸せそうに微笑む写真が何枚も残されていました。 それを見る度に私はいつも疑問に思ったものです。 「こんなに仲が悪いのに、何故写真の二人は幸せそうに笑っているんだろう?」 そう首をかしげるぐらい、私が産まれた後の二人の仲は冷め切っていました。 理由は幼子にも明白で、父のDVと借金でした。 未だに忘れられない父の一言がありまして、小学生ぐらいの私に向かって「借金は母親名義でしているから、俺に返済義務はない。俺は何も悪くない」という言葉でした。 法律的にはその通りでしょうが、子供にだって父親の言い分は間違っていることが分かります。 こんな考えの夫を持てば、離婚を考えるのも当然の結果でしょう。 しかし私の記憶にある内で

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  • 息子が生まれたら姑を嫌いになった - ヒロニャン情報局

    息子が生まれたら姑を嫌いになった 姑との関係は、結婚前から良好でした。 私たちの関係が崩れていったのは、長男を出産した直後からでした。 ・毎日病院に出勤 姑にとって長男は初孫でした。相当嬉しかったのでしょう。 毎日のように片道20分はかかる病院にやってきました。 それも、まだ数回しかあったことのない夫のいとこや、姑の実姉、義祖母など入れ代わり立ち代わり毎日誰かを連れてくるのです。 それだけでなく「出勤か!」なみに昼前から面会終了前まで居座るのです。 その間なにをしてるかというと、延々自分の話と、夫の子供時代の話。 病室入ってきて早々長男の写真を撮りまくり。しかも、新生児にフラッシュたきまくり.. ・炊き込みご飯の特大おにぎりを持ってきた 当時入院したのは事が美味しい産院でした。 3度の飯に加え、朝のおやつ・昼のおやつ・夜まで出るような豪華な事。常にお腹いっぱいでした。 それを毎日伝え

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  • 嫁と姑の問題を解決するには夫の力が不可欠 - ヒロニャン情報局

    私が28歳で主人と結婚した時、既に長男を身籠っており、その状態で主人の実家の2階で、主人の両親と同居することとなりました。 私の出身は愛知県で、主人は静岡県でした。 結婚当初は主人の両親も子育てに協力的で、核家族で誰も頼る人がいない夫婦に比べたら、まだ支援してもらえるだけ有難いのだと思っていました。 しかし、新婚生活1か月後に体調異変が起きました。 朝になると頭が痛くなったり、夜泣きが続く時は腹痛が酷くなったりしました。 そして、決定的だったのは、愛知と静岡の味付けや風習の違いでした。 愛知出身の私は、全て赤味噌がベースが当然だったのですが、隣県でそれほど違いはないだろうと甘く見ていた私も悪かったのですが、こちら静岡では赤味噌が殆ど扱っておらず、白味噌が大半でした。 なので、姑と作る事も静岡風味のものばかりになり、私が提案しようにもそもそも材がない状態で、段々ホームシックになって、愛知

    嫁と姑の問題を解決するには夫の力が不可欠 - ヒロニャン情報局