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  • 「親切な隣人」との金銭トラブル - ヒロニャン情報局

    2~3年前のトラブルです。 当時87歳になる母は元気で一人暮らしをしていました。 私は車で30分くらい離れた距離に住んでいて、週に1度は必ず会いに行き、電話も1日おきくらいにしていました。 近所に買い物や事などとても親切にお世話をしてくれる人がいるという話を聞いていて、私もお礼にうかがったりしていました。 ただ徐々に同じものをどんどん買い込んだり、美容院に毎日行ったりする認知症の兆候が見えてきて、金銭管理は私が行うことにしました。 とりあえずいくらか生活費をおろそうと銀行に行ったら驚くことに、1000万円以上はあるはずだった定期預金が見当たらず定期預金の50万円のみになっていたのです。 びっくりして母に問いただすと「信頼できる知人に預かってもらったから大丈夫」と言って名前を言いません。 銀行に相談して母の認知症の診断書を持っていくことで、母が誰に預けたのか教えてもらうと、近所でとても親切

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  • 夫が家と教育と車に惜しみもなくお金を使うので貧乏です。 - ヒロニャン情報局

    貧乏というとお金がないというイメージですが、お金があっても使えないというのも貧乏だなという思いです。 生活費は、夫から毎月決まった金額をもらってやりくりをしています。収入は、多くもなく少なくもないと思っています。 ごく普通の一般的な家庭と同じと思っていますが、ひとつ違うことがあり、そのためにすごく節約して生活しています。 ・理想が高い将来設計 それは、夫が将来設計をしているのですが、理想が高すぎる設計なのです。 小学生の子供が2人いるのですが、その教育方針がすごく理想が高く総教育費の設定が高いこと。 車の購入サイクルが5年で、購入車種が高級車と決まっていること。 これらなど、理想が高く、そのために準備しておく毎月の貯蓄額が大き過ぎるので、そこへ老後への備えなどの貯蓄があるので、残りがすごく少なくなります。 その中での、生活になるので、毎月の生活費は家族4人で30000円です。この生活費で、

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  • 忘れられない放送部 - ヒロニャン情報局

    今回の私のしくじりエピソードは、私が小学生の頃の話になります。 私が小学生5年生だった1980年、私の通っていた小学校では、五年生から学校の中で何かの係を担当しなくてはならなくなり、私は当時流行っていたザ・ベストテンみたいに、皆んなから集まったリクエスト曲を基にして、昼休みに流す曲を選びたくて、人気があった放送部に立候補して、くじ引きまでして何とか希望通り、放送部の仕事が出来ることになり、とても嬉しかったのを覚えています。 でもそれで運を使い果たしたのか、その後のしくじりと運命は最悪なものとなりました。 そのしくじり事件は、ある日下校時の放送業務で起きました。 嫌な思い出で当言えば忘れたいのですが忘れることが出来ません。 あれは忘れもしないもうすぐ夏休みに入ろうとしていた週末でした。 そろそろ放送部の仕事にも慣れてきて、最初の頃に持っていた緊張感も薄れつつあり、胸に抱いていた来やってみ

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  • 人生のリセットをするためにアメリカへ留学 - ヒロニャン情報局

    私は20代前半に色んなことに行き詰っていました。 苦労して憧れていた職業にやっと就けたと思ったらその会社の上司と同僚からイジメられて、精神的に辛すぎて辞めざるを得なくなってしまったり、男運も悪くて恋愛も上手く行きませんでした。 そして定職にも就いていませんでしたので、将来への不安もありました。 職も無くて、男運も無い私の将来はどんな風になって行くんだろう?と不安な気持ちでいっぱいでしたし、自分の人生に対して希望を持つことはぜんぜん出来ない状況でした。 でもそんなネガティブな気持ちの自分が嫌いでしたし、この先ずっとこんなネガティブな人生を歩んでいくのかと思うとゾッとしました。 そしてまだ20代前半だったので、何か人生をリセットして好転させることをやり始めたいと思うようになりました。 その時の私のネガティブな状況をリセットして好転させるためには、何かそれまでにやったことのない事、そして何か大き

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  • ドケチな母親に振り回される私 - ヒロニャン情報局

    私が思いつく中でもっともドケチな人間、かつ一番最初に出会った人間は母親です。 母親自体は比較的裕福な家の生まれで、学校なども普通に進学させてもらっていたのですが、自分の家庭内ではとにかくケチ。 しかも他人にも強要する上に「それおかしな理屈じゃない?」と思うようなエピソードが多々あります。 エピソード1「歯ブラシを買わない」 歯ブラシは大人用、子供用でサイズが違いますよね。 口の中の大きさが違うから当たり前ですが。 私が始めて与えられた歯ブラシは大人サイズ。 歯磨き粉も塩が入った大人用歯磨き粉でした。 当時私はまだ保育園。 大人用歯ブラシは大きすぎてえづいてしまい、ミント&塩味の歯磨き粉も刺激が強すぎて涙が出るほどでした。 「保育園のお友達が使っているような小さい歯ブラシが欲しいです。吐きそうになるから」と訴えたところ、「何贅沢言ってるんだ!」と叱られたあげく、当然買って貰えませんでした。

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  • 最近感じる地域のずるい人 - ヒロニャン情報局

    最近感じる地域のずるい人 私が最近ずるいと感じる人は地域の行事の手伝いや持ち回りの役員の仕事を全然しない、または責任感のない人たちです。 私も地域の行事やイベントにはあまり積極的ではありませんが小学生の子供がいることもあり町民運動会や秋祭りなどイベントは出来るだけ参加してお手伝いもします。 そういった行事に参加すると弁当を配ったり、子供たちにジュースやお菓子を配ったり、イスなどの用意また終了後の片付けなどやることが多く、その年の持ち回りの役員さんだけではこなしきれない場合が多いのですが、私がずるいと感じる人たちは完全にお客さん気分で何も手伝ってくれません。 ・ずるい人に限って文句や不満を言う お手伝いは義務ではないので個人の自由だと思いますが一番困ったことはそういった人に限って文句や不満を言うことです。 持ち回りの役員さんは毎年やっている訳ではないので不慣れな部分もありますが、文句や不満を

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  • 2年間の貧乏体験記 - ヒロニャン情報局

    貧乏と聞いてどんなことを思い浮かびますか。 それは、金銭的な面であったり精神的な理由で貧乏と感じてまうことがあるのです。 とりわけお金が無いと貧乏だなと思ってしまうとがありますよね。 前置きが長くなりましたが、私が経験した2年間の貧乏生活の体験談についてエピソードを語らせて頂きます。 私が貧乏生活に陥ったのは、今から約2年前のことで20年以上働いていた職場を辞めたのがきっかけです。 職場の人間関係に嫌気が差してきたことに加え、その仕事自体にやりがいを失ってしまったため退職を決意。 だけどその仕事を辞めたのは別に後悔はしてません。 むしろ、ストレスも少なくなり自分の時間が十分に確保出来るようになったので精神的な幸せを感じていますね。 額は大したこと無いですが、一応退職金も支給されました。 貧乏になってしまう背景は人によってそれぞれ異なってくると思われます。 その状態に陥ってしまったのは、2つ

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  • 一度は諦めた野球で食っていく道 - ヒロニャン情報局

    私は大学3年生の時に大学を中退しました。 野球のスポーツ推薦で入学した大学でしたが試合中に肘の靭帯を切ってしまい、選手としてもう格的にプレーできないことやその怪我が原因でスポーツ推薦の審査対象から外れてしまい、学費の援助が受けられなくなったことが中退の原因でした。 大学を辞め、地元に戻ることにしたのですが学生気分は抜けず、すぐに働こうとは思わず、新たな目標も見つかりませんでした。 とりあえずアルバイトをすることにしましたが、それも特に目的があって始めたのではなくただ「何もしていないからとりあえず」という理由からでした。 アルバイト先はコンビニ。 学生時代に経験があったので続きはしましたが、あの頃は人生において先のことなど何も考えることができずになんとなく毎日を過ごしていたと思います。 アルバイトを始めて1年ぐらい経った頃、通っていたジムで高校野球部の栄養士をしている方のスポーツ栄養セミナ

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  • 不妊症の治療にチャレンジした辛い日々 - ヒロニャン情報局

    不妊症の治療にチャレンジした辛い日々 私の母親は保母さんでした. 近所の子供たちの親御さんが不在になる際にはボランティアで子供たちの面倒を家で見ることもありました。 そしてそんな子供たちの世話を私も手伝っていました。 そんな環境で大人になった私は子供が大好きでしたので、結婚したら自分の子供をどんな風に可愛がったり、どんな風に育てるかをよく思い描いていました。 そしてテレビなどで可愛らしい名前の子供を見るたびに、自分の子供にはそんな可愛らしい名前を付けたいと思って、子供の名前まで考えることも良くありました。 ・30歳で結婚 そんな私は20代後半に大好きな男性と出会って、30歳の時に結婚することが出来ました。 そしてすぐにでも大好きな主人の子供が欲しいと願いました。 ただ主人の仕事はとても忙しくて、子供を持つ心の余裕はありませんでした。 ですので結婚してから1年ほどは子供を授かることが出来

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  • 美しい彼女の部屋は・・・だった - ヒロニャン情報局

    人生においてこれは見てはいけなかったなと思うことがありますね。 私の場合も、いくつかの経験があります。 その中でも私が見てはいけないものを見てしまったのは、同僚の部屋でした。 その同僚の部屋は、凄かったのです。 汚部屋という状態だったのです。 そのことを知り、とてもショックを受けました。 ここでは、その彼女の汚部屋についてお話します。 ・インフルエンザになった 彼女の部屋に行くことになったのは、25歳の時でした。 ずいぶん前のことなのですが、余りにもショックを受けたのでそのことを鮮明に今でも覚えているのです。 彼女の部屋に行くことになったのは、彼女がインフルエンザになってしまったからでした。 ・一人暮らしの彼女 彼女は、一人暮らしをしていました。 そしてその彼女は、とても美しいのでどんな部屋に住んでいるんだろうと気になっていたのです。 流行に敏感だし、きっと素敵な部屋に住んでいるんだろうな

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  • ミニマリスト的生活を始めて楽になったこと - ヒロニャン情報局

    ミニマリスト的生活を始めて楽になったこと 私は50代後半の専業主婦です。 子供たちも手が離れ、後残りの人生を自分らしくゆっくり終活に向けて動き出そうかな、という年齢だと思います。 50代で人生の締めの準備は早すぎないかって?いえいえ、そんなことはございません。 年老いて動けなくなってからでは出来ない後始末もたくさんあります。 ・自分らしい生活に回帰する 投げやりになっているのではなく、今まで生きた来た自分らしい生活、当に必要な自分的に譲れないものだけの生活に回帰するだけのことです。 世の中ではこれを「ミニマリスト」と呼ぶのだそうですね。 ・洋服を大量処分 子供たちが小さい頃は育児にいっぱいいっぱいで自分の身の回りのことになど気持ちが行きませんでしたが、落ち着いてみてみるとあれもこれも、自分にはもう不要だな、と思うものがたくさん出てきました。 まずは自分の持ち物。洋服は今もうほとんど買いま

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  • 事故で車椅子生活になった彼との辛い別れ - ヒロニャン情報局

    20代の頃、結婚を意識していた彼がいました。 すごく優しい人で大好きだったのですが、あることがきかっけで突然別れることになったんです。 彼は学生時代から長く続けているスポーツがあり、そのスポーツをしている姿はとてもキラキラ輝いていて、彼のことが好きになりました。 ある日、いつものように駅で彼を待っていたら、全然彼が来ないんです。 デートの日、約束の時間に遅れることが今までなかったのですごく不安になりました。 何度電話をしてもつながらず、その日一日連絡がとれず、彼のマンションへ行っても留守。 彼に何か悪いことが起こったのではと眠れませんでした。 翌日、彼のお母さんから連絡があり、彼が交通事故にあったと言うんです。 私はパニックになり、お見舞いに行きたいから病院を教えて欲しいと言うと、今は会えないと言われてしまいました。 彼に何が起こったのか、すぐにでも会いに行きたいけれど彼のお母さんに止めら

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  • 貧乏になって節約に節約を重ねています。 - ヒロニャン情報局

    貧乏になって節約節約を重ねています。 私は今まで貧乏と言うことを経験したことがありませんでした。 初めて貧乏になってみて分かったことが沢山あります。 今まで何不自由なく暮らしていましたが貧乏になった途端に暮らしを変えないといけなくなったからです。 まず節約を試みないといけません。 1番にかかっているのが費だという事が分かりました。 光熱費の節約などは日ごろからできていますが今考えますと費を抑えると言うことをあまりしていませんでした。 今まで自分はが大事だと思っていましたので費を削るなどと考えたこともありませんでした。そこが私の落とし穴だったなと思います。 ・くず野菜も調理 費を削ることで少しずつもったいない精神が生まれて来ました。 あれもこれも捨ててはいけないんだなと思いました。 私は今くず野菜などはすべて調理してべています。 を無駄にすることはお金を無駄にしていることと一

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  • お見合いでしくじってしまった話 - ヒロニャン情報局

    現在、私は40代の女性です。 私がまだ20代後半のときに、父親の知人からお見合いを勧められました。 相手の男性は大きな建築会社の一人息子ということで、私の胸は踊りました。 おまけに、写真で見る限りかなりハンサムな部類に入る人で、学歴も申し分ありませんでした。 両親もかなり喜んでいましたし、私としても結婚を考える年齢でもあったので、快く受けることにしたのです。 とにかく相手のご両親はマナーには厳しいということで、家族全員でテーブルマナーから立ち居振舞いを勉強し、着物も親戚に頼んでかなり高額なものを借りることができました。 これで、完璧と思ったら、父が私の経歴が薄っぺらいと言い出したんです。 普通の高校、普通の大学というだけでは弱いからと言って、私の趣味の欄に茶道と華道と書けと言うのです。 おまけに特技は料理と、はっきり言って、私には苦手はものばかりです。 不安がる私に、結婚してから学べばいい

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  • 課長の奥さんが会社に乗り込んできた! - ヒロニャン情報局

    それは初めて新卒で入社した会社での出来事でした。 当時の私はまだ新卒として金融関係の企業に入社して2年目に差し掛かるかというところだったので普段の仕事を覚えるため大変でした。 私自身は女性の総合職として入社しており、営業も行うことになっていたのでお客様の与信関係の書類の審査や既存の取引先に訪問するなど、基的には毎月のルーチンワークやお客様との関係作りをしていました。 そんな時に隣の営業部の噂を聞きました。 当時勤めていた会社は営業部が大きく4つに分かれていて簡単に説明すると第一営業部から第四営業部まで分かれています。 大きな取引先を担当するのが第一営業部で花形の部署と言っても良かったのですが、仕事も大変なことで有名なこの第一営業部の課長が社内で不倫しているという話でした。 同僚の仲の良かった先輩社員からお客様へ同行訪問する際に「これはここだけの秘密だからね!」と何度も念押しされ聞いた話で

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  • ご近所トラブルで嫌な思い - ヒロニャン情報局

    ご近所トラブルで嫌な思い 私たち夫婦は子犬を飼っているため、犬を飼って良くて自分たちが気に入ることが出来る家を探すのに苦労しました。 そしてやっと見つけた一軒家に引っ越ししました。 ・閉鎖的な地域 そしてその家への引っ越しが終わった後に、その家の周りには昔から住んでいる家族(親戚)がまとまって住んでいることを知りました。 そしてとても閉鎖的な地域だということを引っ越して初めて知りました。 でも苦労して犬が飼えて私たち夫婦が気に入ることが出来た一軒家でしたので、その地域に馴染んで行けるように努力しました。 そしてご近所さんとは愛犬の散歩をする際にあいさつを交わしたり、ちょっとした世間話をしたりして、特にトラブルはありませんでしたので安心していました。 でもいつの日からか、ご近所さんたちが私たち夫婦を見る目が少しずつ変わっていくのを感じるようになりました。 最初はたまたまそう感じただけかもしれ

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  • 離婚のショックから貧乏生活に落ち込んでしまった私 - ヒロニャン情報局

    私は現在、スーパーのパートで総菜調理の仕事をしています。 もう30歳目前ですが、何とか生活していけるようになったのは今年からです。 というのも、一時は生活保護を受けた方がいいのではないかというぐらい貧乏生活にどっぷり状態だったからです。 貧乏生活に落ち込んだのは、離婚が原因でした。 学生時代から付き合っていた彼と結婚したのが25歳。 あとでわかったんですが、彼にはその時付き合っていた女性がいたんです。 彼から離婚を切り出されたのが結婚して3年目でした。 理由がわからないのでしつこく問い詰めたら、好きな女がいた、と告白。 もうその瞬間、頭が真っ白になって、まさかと思ったんですが・・。 結局、離婚するしかなくて。 彼に裏切られたことがショックで、勤めていた会社も辞めました。 結婚披露宴に招待した同僚たちと顔を合わせるのがイヤだったんです。 辞めても別の仕事を探すなんていう気にはなりませんでした

    離婚のショックから貧乏生活に落ち込んでしまった私 - ヒロニャン情報局
  • 職場での陰湿な悪口を見た事につきまして - ヒロニャン情報局

    私は、医療現場での従事者としまして、主に医療事務を担当する形で、毎日患者さんのカルテ等を厳重に保管したり、取り出したりする部署で勤務しておりました。 そこで、私が見てはいけない物を見てしまった事とは、もろに隣に居られる方の悪口を先輩達が言っているのを見てしまったのでした。 普通は陰口や悪口等は、その人が完全にいなくなってからという状況を確認してから発言するのが普通でありますが、人のいる隣であろうことか、悪口を言っているのです。 しかも、人にワザと聞こえるような状態で言っているのが、非常に聞いていて、胸が痛む感じがしましたし、「当にこんなこと聞いてしまって大丈夫かな!?」と思える内容でした。 こんな内容のことを聞いてしまいましたら、当然、疑心暗鬼になりますし、私自身にも同じようなことを言われているのではないか?と思ってしまう形になりますので、やはり、人の悪口は、陰でもいうべきではないと

    職場での陰湿な悪口を見た事につきまして - ヒロニャン情報局
  • 大学の附属病院という特殊な環境、職場から、 - ヒロニャン情報局

    実は民間の会社ではなく、ある大学の付属病院の内科に勤務している者ですが、勤務体制は勿論、総合病院ですから昼・夜の交代勤務体制ですが、私自身については近頃になって準看護師からやっと正看護士になったところです。 ただこの病院では三流の大学の付属病院ということで、通常、授業の一旦として扱われているインターンの学生や大学教授、などの直接医者でない人達も多く出入りしていて、私のような普通の看護師としてはチョット落ち着かない雰囲気もありました。 看護師というのは、元より医師の先生はともかくとして、当然ながら患者さんと常に接しているのが主としたお仕事です。 そして患者さんというのは色んな患者さんがいて常にそれらと対応しなければなりません。 この様な状態の中でも患者さんが病状も良くなって退院の運びになったときは大いに嬉しい者ですが、突然に患者の病状が悪化したり、なかには患者が死亡するという悲しい事態や現場

    大学の附属病院という特殊な環境、職場から、 - ヒロニャン情報局
  • 私が障害を背負っていることでのトラブルについて - ヒロニャン情報局

    私が障害を背負っていることでのトラブルについて 私は、自分自身では気付いておりませんでしたが、障害と言うハンディを背負っていることがわかりました。 私が障害と言うハンディに気付いたのは、何回も人間関係で行き詰まってしまい、主人から「ちょっとおかしい変だ」と言われだしたのが、キッカケでありました。 職場におきましても、「どうしてすぐ忘れる!?」「どうして言われたことができなんだ!!」と毎日、怒声や罵声を浴びせられる形でありました。 そこで自分自身につきましても、なぜすぐに忘れてしまうのか?ひどければ、次に考えごとをした瞬間には、意識が飛ぶような感覚で、指示された内容を忘れてしまうと言う形でありました。 また、すぐに忘れてしまい更に、今自分自身が何をやっていたのか?という危ない症状も出る状況で、非常に危ないと自分自身でも実感してしまうような状況でありました。 ・大人の発達障害 そこで主人が私が

    私が障害を背負っていることでのトラブルについて - ヒロニャン情報局