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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (2)

  • ララビアータ:安倍政権が壊そうとしているもの - livedoor Blog(ブログ)

    今般の戦争法案が問題であるのは、それが憲法違反であるというだけではない。もちろんそれも大問題であるが、それは問題のごく一部にすぎない。 安倍政権が集団的自衛権の行使が容認されるための基準としてきた「新三要件」の根幹をなす「存立危機事態」という概念は、通常は主権侵害を意味する。つまり武力攻撃が国土の主権を脅かす事態のことである。これに対して反撃するのは、当然個別的自衛権の範囲である。 しかし、もしこれだけが要件であれば、集団的自衛権の行使は必要ないことになってしまう。そこで、そこに「または、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされる明白な危険があること」という一文が付け加えられた。 関係国に対する攻撃により(通常の意味での)「存立危機事態」が引き起こされる場合には、武力行使が許されるという意味

  • ララビアータ:トロッコ問題 - livedoor Blog(ブログ)

    最近、サンデル教授の影響であろうか、倫理的難問が一見具体的な例題として問われることが多い。その典型例が、トロッコ問題と言われるもので、たとえば暴走するトロッコがあって、切り替え線で二つの線路に分かれているとする。一方に行けば多くの人を犠牲にするが、他方に行けば犠牲は一人で済む。その場に居合わせた者は、トロッコをどちらに導けばいいか?と問われるのである。この場合は、かけがえのない人命が功利主義的考慮に対象にされてよいかが問われているわけであり、我々はその問題状況をこの事例で明確に理解できるわけである。 しかし、果たして倫理問題がこのような形で当に理解できるものであろうか? 事例の説明が、判断できるにはあまりにも粗雑ではないだろうか?その場に居合わせた人がどのような立場の人間か問題にしなくてもよいのか?それぞれの線路の先にいて犠牲になる可能性のある人がそれぞれどのような人なのか、自分の家族や

    houyhnhm
    houyhnhm 2011/08/03
    うーん、問題、という言葉が、「まるで解けるかのようなもの・解が重要なもの」と思われてるならそれは例示が使えないでしょうねえ/「解き方として何の主義が現れるのか」って所が問題が持つ意味なんでしょう。
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