ブックマーク / massneko.hatenablog.com (720)

  • 登呂遺跡 静岡県静岡市駿河区登呂 - 墳丘からの眺め

    静岡県立美術館を訪ねた後は、あの登呂遺跡へ。 広い駐車場(有料)に停めて、北西に100mほど歩くと静岡市立登呂博物館があります。その先に水田、向こうに復元建物群。 現地説明板。 国特別史跡 登呂遺跡 登呂遺跡は、今から約1900年前の弥生時代後期の集落遺跡です。太平洋戦争中の昭和18年(1943)に発見され、昭和22年から25年(1947~1950)に行われた学際的な発掘調査により、弥生時代の人びとの暮らしと米づくりの様子が日で初めて明らかとなり、昭和27年(1952)に「特別史跡」に指定されました。 平成11年度から平成15年度に行われた再発掘調査では、遺跡は洪水により2度埋没し、その度に復興された変遷が確認されるなど、集落の様子が細部にわたり明らかになりました。 特に最初の洪水前の集落の姿が最も良好に保存されていたため、再整備では、そのすがたを復元しました。 2月下旬でしたが田んぼは

    登呂遺跡 静岡県静岡市駿河区登呂 - 墳丘からの眺め
  • 「天地耕作(あめつちこうさく)・初源への道行き」展 @静岡県立美術館 - 墳丘からの眺め

    前回の谷田54~56号墳は、静岡県立美術館の裏山に残っています。 美術館はとても立派な建物でした。 神殿のように荘厳なエントランスホール。 大きな縦長窓から竹林の中庭を。 こちらの企画展を鑑賞。 下記が公式サイトの記録。 天地耕作 初源への道行き|展覧会一覧|展覧会|静岡県立美術館|日平のふもと、緑に囲まれた美術館 村上誠、渡の兄弟と、山裕司の3名が協働で行った、美術制作のプロジェクトです。展では、旧引佐郡(現 浜松市)を拠点に、1988年から2003年にかけて活動した天地耕作の軌跡をたどります。 天地耕作は、街中を離れた野外を主なフィールドに、木や縄、石や土などの自然物を素材として、大がかりな作品を制作しました。彼らは伝統芸能や遺跡などを、民俗学者や考古学者のように(あるいは彼らの言葉によれば蟻のように)フィールドワークし、生や死といった根源的なテーマに迫りました。しかしながら、時

    「天地耕作(あめつちこうさく)・初源への道行き」展 @静岡県立美術館 - 墳丘からの眺め
  • 谷田古墳群(54・55・56号墳) 静岡県静岡市駿河区谷田 - 墳丘からの眺め

    瓢箪塚古墳からは静岡県立美術館へ。 企画展「天地耕作 初源への道行き:2024/2/10~3/27)を見に行ったのですが、その一部は屋外展示されており、それを見に行く途中に図らずも3基の古墳に対面できて、喜びが溢れました。 裏山の斜面への園路脇です。最初に谷田55号墳。 隣の、谷田(やだ)54号墳の前には説明板。 横穴式石室が確認されているようです。 谷田古墳群 谷田地区には、6世紀代から8世紀初めにかけて多数の古墳が造られました。特に西側から南側にかけての斜面には、小さな古墳が密集しています。 谷田54・55・56号墳は、美術館周辺の環境整備事業に伴う調査によって新たに発見されてものです。 墳丘はほとんど削りとられていましたが、遺体を埋葬する埋葬するための石室(横穴式石室)や墳丘を取り囲む周溝が確認され、7世紀後半から8世紀初めに造られた円墳であることがわかりました。律令体制に組み込まれ

    谷田古墳群(54・55・56号墳) 静岡県静岡市駿河区谷田 - 墳丘からの眺め
  • 瓢箪塚古墳(西ノ原1号墳) 静岡県静岡市清水区谷田 - 墳丘からの眺め

    前回の、矢田宮の後公園からは北西に600mにある、ひょうたん塚公園へ。 2つの古墳公園を結ぶ直線が、住宅街の道路のひとつになっています。 北東側の道路から見る後円部。結構な坂道です。 公園駐車場は無い上に周囲は道幅が狭く、停める場所を探す必要があります。 そこから北西側の生活道路から。左手前が後円部、右奥に前方部。 公園内に入って、前方部先端側から。 園路に沿って進み南東側から、形の整ったサイドビューを。右が後円部。 地元の方々による詳しい説明板があります。 ひょうたん塚古墳 遺跡名称:西ノ原1号墳(前方後円墳) この古墳の築造年代は、おおよそ5世紀後半の古墳時代中期と推定されています。昭和48年(1973)の調査で周溝の存在も確認され、全体の保存状態は極めて良好な典型的な前方後円墳です。 この地方は古代イオハラ国と云われ、4世紀中ごろの大和朝廷の勢力下に組み入れられた頃の物語として日

    瓢箪塚古墳(西ノ原1号墳) 静岡県静岡市清水区谷田 - 墳丘からの眺め
  • 谷田古墳群第1支群(1号墳:宮ノ後古墳、53号墳、52号墳) 静岡県静岡市駿河区谷田 - 墳丘からの眺め

    今回からは静岡県の古墳シリーズ(最後のストック)です。何度かに分けて行っているので順不同で(書き起こしが楽な方から…) はじめは今年の2月に訪ねた、静岡市の谷田(やだ)古墳群へ。 日平のある山塊の北西端の立地。 雨天でしたが、整備された公園で見学しやすかったです。 谷田1号墳(宮ノ後古墳)には解説板があります。 谷田1号墳(宮ノ後古墳) 谷田1号墳は宮ノ後墳とも、いわれている古墳で6世紀の後半に築造されました。全体では50基以上にものぼる谷田古墳群の中のひとつです。 この古墳には横穴式石室と呼ばれる石を積んだ室があり、ここに死者を葬るようになっています。 横穴式石室からは、直刀、須恵器(坏、提瓶)土師器などの副葬品が出土しました。 静岡市 石室は埋め戻されたようです。 歩道を回り込もうとすると、左手側に小さな53号墳の墳丘がありました。 園路を降りて振り返った1号墳。 1号墳に上がらせて

    谷田古墳群第1支群(1号墳:宮ノ後古墳、53号墳、52号墳) 静岡県静岡市駿河区谷田 - 墳丘からの眺め
  • 焼き物完成 - 墳丘からの眺め

    9月の下旬に、八郷の”穴窯”で焼いていただいた器、宅急便で丁寧に送っていただいて、日届きました! 今夜はこちらで冷酒をいただいています。最高の贅沢を堪能しております。 埴輪をつくった方々もワクワクしながら完成を待ったのでは(牽強付会?)

    焼き物完成 - 墳丘からの眺め
  • 特別展「はにわ」 @東博・上野 - 墳丘からの眺め

    始まって最初の土曜日の日10月19日、10時前に到着。受付混雑回避の入場待ちが少しありました。 「挂甲の武人」が国宝指定されて50周年を記念する展覧会で、”全国各地から約120件の選りすぐりの至宝が空前の規模で集結”しています。 第2会場から誘導され、最初の部屋に5体の武人に対面。いずれも群馬県出土(太田市4体・伊勢崎市1体)で、太田市のうちの1体はシアトル美術館から”一時帰国中”。 東博の武人もぐるりと鑑賞できます(Googleで消しゴムマジック初めて使用) オリジナルと推定される色をまとったレプリカも。 和歌山・岩橋千塚古墳群の大日山35号墳出土の「両面人物埴輪」 (2つのお顔と)対面できて嬉しかったです。 同古墳からの「翼を広げた鳥形埴輪」は、でかい鳥でした。 オクマン山古墳(群馬県太田市)の鷹匠埴輪に再会。 背中を見るのは初めて。 「踊る人」は伝群馬県出土(@さきたま史跡の博物館

    特別展「はにわ」 @東博・上野 - 墳丘からの眺め
  • 長堀6号墳 茨城県石岡市柿岡 - 墳丘からの眺め

    長堀2号墳を鑑賞した後は、丸山古墳そばの看板にあった長堀6号墳へ向かいました。 グーグルマップにはピンが無かったので無理かもとも思いつつ、進んで行くと墳丘っぽい高まりが。 南側に回り込むと階段も。 ストリートビューで。 上がって行くと 墳頂に祠が。 南側に平地があり、中ほどに恋瀬川支流が流れているようです。 墳丘からは筑波山も望めました。 ふっき~さんが昨年訪ねられていました。墳頂37mの前方後円墳とのこと。 茨城県石岡市柿岡 長堀6号墳 | 古墳探訪記 今回の墳行は以上で終了。その後、すぐ近くの”穴窯”で、窯焼き体験をさせていただきました。自分が手でひねった茶碗もその中に入っていて、実はこの日曜日の到着予定。ドキドキ、ワクワクしています。 2024年9月下旬訪問 ランキング参加中歴史 ランキング参加中旅行 ランキング参加中写真・カメラ

    長堀6号墳 茨城県石岡市柿岡 - 墳丘からの眺め
  • 下林五霊古墳群第2号石室 茨城県石岡市下林 - 墳丘からの眺め

    八郷盆地に入って2番目に訪ねたのは、ヨークベニマル八郷店の一画に残る石室。 駐車場の隅にある何か。 周囲は舗装されています。地元の方なら「石室」と認識されるのでしょうか。 車が通るところなので、コンクリ杭で保護されています。 横から。 開口部側に回り込んで。 四つん這いにならないと入れない高さ。 なので、外からのみで。 解説板がありました。 五霊古墳群 第2号石室 八郷盆地下林地区に構成されていた、五霊(ごりょう)古墳群の中で、現存する2基の石室のひとつ。巨大な石材を用いて堅固に構築した横穴式石室で、古墳時代終末期の7世紀頃に築造されたものと推定される。 長年にわたる耕地の拡張によって墳丘は完全に失われており、明治の後半期にはすでに石室は露呈していた。 上から、天井石を。 2024年9月下旬訪問 あんけんさんのブログで、店舗建設の際に移設されたものと知りました。 石岡市下林五霊古墳群 |

    下林五霊古墳群第2号石室 茨城県石岡市下林 - 墳丘からの眺め
  • 常名天神山古墳 茨城県土浦市常名 - 墳丘からの眺め

    今回からは、2024年9月下旬の土浦・石岡(八郷)近辺の古墳を。半日でしたが、お彼岸過ぎての、久々(3か月ぶり)の墳行でした。 最初は、土浦北ICの近くの常名(ひたな)天神山古墳へ。 古には霞ケ浦が入り込んでいたであろう平地。1㎞ほど先(西)に桜川が流れています。 ミラーの後ろから振り返った小山。その中に常名天神山古墳があります。 古道の香りのする道路沿いに神社の鳥居。車は先ほどの低地の道路沿いの広いところに停めました。 大きな標柱がありますが、参道入口は草ぼうぼう。 かきわけて入って振り返って。 その先は普通に歩けました。 上がって振り返ると結構な高さ。 頂上が後円部で、その上に常名神社があったようですが… 無残な姿に。 すぐ脇に、黒焦げの切株。 2023年5月7日の深夜に燃えてしまったそうです。 茨城・常名神社が全焼 御朱印ブームで「隠れた人気スポット」 | 毎日新聞 後円部先端方向。

    常名天神山古墳 茨城県土浦市常名 - 墳丘からの眺め
  • 熊谷市埋蔵文化財整理所 埼玉県熊谷市原島 - 墳丘からの眺め

    横塚山古墳から熊谷駅へ向かう途中に、熊谷市埋蔵文化財整理所のピンが立っていたので寄ってみました。 熊谷市スポーツ・文化村「くまぴあ」の一部屋が展示室でした。(現状の休館日がよくわからないので、事前に確認された方がよいと思います) 施設概要 | 熊谷市スポーツ・文化村「くまぴあ」 旧熊谷市立女子高等学校の施設を活用したものですが、中はとても綺麗。「創作展示棟」の3階です。 このとき(2022年8月下旬)は、令和3年度新指定熊谷市文化財「中西遺跡出土遺物」「立野古墳群第12号墳出土遺物」が期間限定で公開中でした。 熱心な先客がおられました。 中央のケースには、野原古墳群(13号墳)からの馬形埴輪。 ケース内には「踊る埴輪」のミニレプリカとともに下記のキャプションも。 この馬形埴輪と巫女の人物埴輪が出土した野原13号墳は、全国的に著名な埴輪「踊る人々」が出土した古墳です。 「踊る」で、あまりにも

    熊谷市埋蔵文化財整理所 埼玉県熊谷市原島 - 墳丘からの眺め
  • 横塚山古墳 埼玉県熊谷市中奈良 - 墳丘からの眺め

    沼の街からは熊谷駅に向かう途中で、道路沿いの横塚山古墳に立ち寄りました。 車がビュンビュン通る幹線道路脇で、頭(後円部)の一部が削られた形で残っています。(車を停める場所は近くにはありません) 道路の対岸から。 歩道はここだけ墳丘を避けて西へ巡っています。 手前の道路側(東)が後円部。歩道のカーブはくびれ部に沿って。 5世紀末に築造された、元は墳長40mの前方後円墳。 熊谷市指定文化財史跡 横塚山古墳 指定年月日:昭和44年9月11日 所在地:熊谷市大字中奈良字横塚 横塚山古墳は、古墳の形態として代表的な前方後円墳であり、長軸は東西方向を向いています。 墳丘は、一部消滅して現在では全長30m、後円部最大径22.5m、前方部先端幅12m、高さは後円部で3.2m、前方部で2.5mです。 沼バイパスの工事に伴って、昭和46年と51年の二度にわたり墳丘部が調査され、周溝の一部が確認されています

    横塚山古墳 埼玉県熊谷市中奈良 - 墳丘からの眺め
  • 妻沼歓喜院聖天堂 埼玉県熊谷市妻沼 - 墳丘からの眺め

    太田市でいくつか古墳を訪ねた後は、利根川を南に渡って熊谷市へ。 前から訪ねてみたかった、沼(めぬま)歓喜院へ。 雨が一旦止みました。四脚門から入ります。 緑が濃い参道。奥に貴惣門。 殿の聖天堂に到りました。 拝観料700円。 殿拝観のご案内 | 沼聖天山 解説板あり。 国宝 歓喜院聖天堂 沼聖天山は、治承3年(1179)、齋藤別当実盛公がこの地に大聖歓喜天を祀り開基したことに始まります。 その殿である「歓喜院聖天堂」は、享保20年(1735))から宝暦10年(1760)に掛けて、林兵庫正清及び正信らによって建立されました。歓喜院聖天堂は、拝殿・中殿・奥殿を結ぶ権現造の建築様式であり、その各所に豪華絢爛な極彩色の彫刻が施されています。奥殿を中心に丸彫や透彫、地紋彫等の緻密な彫刻技法が用いられ、その上に漆塗りや極彩色が加わり、荘厳性を極致まで高めています。 日光東照宮の創建から百年

    妻沼歓喜院聖天堂 埼玉県熊谷市妻沼 - 墳丘からの眺め
  • 牛沢稲荷山古墳 群馬県太田市牛沢町 - 墳丘からの眺め

    前回の富沢団地からは南東に350mほどの交差点角にピンが立つ、牛沢稲荷山古墳へ立ち寄りました。 東側から、そのあたりを。まだ雨が降りでした。 ストリートビューだと小さな赤い鳥居が見えますが このときは草むらでした。 これは西側から撮ったものと思います。 今回も、ぺんさんに頼らせていただきます。 牛沢稲荷山古墳は全長41.2m、後円部高さ4.2m、前方部高さ1.2mの前方後円墳とのこと。 牛沢稲荷山古墳【群馬県太田市】 - ぺんの古墳探訪記 冬季に再訪したいと思います。 2022年8月下旬訪問 ランキング参加中歴史 ランキング参加中旅行 ランキング参加中写真・カメラ

    牛沢稲荷山古墳 群馬県太田市牛沢町 - 墳丘からの眺め
  • 富沢古墳群  群馬県太田市富沢町 - 墳丘からの眺め

    金山城跡ガイダンス施設で天神山古墳の企画展を見た後は、太田駅前で「トライノアシオト」展を鑑賞。この日の墳行で当展示のみ先にブログに残していました。 その後に、南西に4㎞程の富沢古墳群へ向かいました。 蛇川左岸の微高地上で、団地(富沢市営住宅)の中に10数基が残っています。古墳を避けるように建てたのでしょう。古墳群中に住めますね。建物もモダンな感じがして素敵でした。 まずは蛇川に面した北西側入口にある9号墳。 団地を守護する武人埴輪。よくできたレプリカです。 墳丘は周りをロープで囲まれています。 その先で右手に10号墳。 ここはマップには古墳のピンが立っていないのですが… 上記を反対側から。古墳にしか見えないのですが… 富沢2号墳。 回り込んで撮ったように思います。 富沢6号墳。 後ろに回って。 富沢15号墳かと。 こちらは団地エリア内にある生品神社。 稲荷塚古墳の上に鎮座。 拝殿前から振り

    富沢古墳群  群馬県太田市富沢町 - 墳丘からの眺め
  • 古海松塚5号墳・新福寺観音山古墳・西ノ原2号墳(新福寺八幡山古墳) 群馬県邑楽郡大泉町古海・千代田町新福寺 - 墳丘からの眺め

    古海原前1号墳を訪ねた後は、北西1㎞弱に展開する古墳へ。 古海松塚5号墳は、住宅街の中の公園(古海第二公園)の一画に残る、見学しやすい墳丘です。 ほんのりとした膨らみ。円墳のようです。 説明板を立てていただけると、とてもありがたいです。 墳丘上から公園を。シートの下は土俵のようでした。 お隣では造成途中の土盛りが墳丘のようでした。 公園内のブランコのそばにもなぜか土盛り(?)が。 公園内に置かれた区画整理事業の完成記念碑。 そこから200mほど北東にピンが立っていた、新福寺観音山古墳。 雨が激しくなっていたので車の窓からのこの写真のみで。 ふっき~さんが、この1年半程前に訪ねられています。 群馬県邑楽郡千代田町新福寺 観音山古墳・八幡山古墳 | 古墳探訪記 そこから北東に350mほどの西ノ原2号墳。廃屋の裏でした。 訪ねたときの半年前までは営業していたお店のようです。 回り込むと木立の下の

    古海松塚5号墳・新福寺観音山古墳・西ノ原2号墳(新福寺八幡山古墳) 群馬県邑楽郡大泉町古海・千代田町新福寺 - 墳丘からの眺め
  • 古海原前1号墳 群馬県邑楽郡大泉町古海 - 墳丘からの眺め

    今回からも過去の”蔵出しストック”。 2022年8月末、群馬県太田市から埼玉県熊谷市にかけてのあたりを回った記録になります。 降りの雨でしたが、古墳関連の展示を見ることがメインだったので、それらの展示と雨でも訪ねやすそうな墳丘(街中古墳)をいくつか巡りました。 最初に訪ねたのが古海原前(こかいはらまえ)1号墳。 きれいに整備された墳丘です。 墳裾には詳しい解説板。 古海原前1号古墳 この古墳は、利根川左岸の洪積台地上に位置します。長い年月の間に大きく姿を変えてしまいましたが、もとは右の図のように帆立貝の形をした全長約54mの帆立貝式古墳であったと考えられています。昭和59年度に行われた発掘調査により、遺骸を納める場所である主体部が縦に4基重なった状態で発見され、全国的にも非常にめずらしい古墳であることが明らかになりました。 また、古墳の墳丘直上からは、西暦500年頃に噴火した榛名山二ッ岳

    古海原前1号墳 群馬県邑楽郡大泉町古海 - 墳丘からの眺め
  • 曹源寺栄螺堂 群馬県太田市東今泉町 - 墳丘からの眺め

    2021年12月上旬の上毛シリーズの最後に訪ねた場所は、古墳ではなくお寺でした。 南側の駐車場から見る堂。三階建ての木造建築です。 東に向く山門から境内へ。 堂を正面から。 18世紀末の造られた栄螺(さざえ)堂です。 国指定重要文化財 曹源寺栄螺堂 所在地:太田市東今泉町165番地 指定年月日:平成30年12月25日 祥寿山曹源寺は、新田氏の始祖義重が、養姫である祥寿姫(しょうじゅひめ)の菩提を弔うために建立した寺と伝えられています。(曹源寺栄螺堂由緒) 栄螺堂とは、江戸にあった羅漢寺の僧象先(ぞうせん)が百観音を一堂に納める堂宇として考案した建物であり、曹源寺栄螺堂、一階に秩父三十四札所、二階に坂東三十三札所、三階に西国三十三札所の写し観音像を祀り、各階を右廻りの一方通行で巡拝することができる内部構造をもっています。これは右繞三匝(うにょうさんそう)と言われる古いインドの礼拝の形式で

    曹源寺栄螺堂 群馬県太田市東今泉町 - 墳丘からの眺め
  • 巌穴山古墳 群馬県太田市東今泉町 - 墳丘からの眺め

    2021年12月上旬の墳行シリーズ、最後に訪ねた”墳丘”は巌穴山(いわあなやま:巖穴山)古墳でした。 北関東自動車道の北側、太田桐生ICのそばにあります。 墳丘のすぐ南が農道ですが普通車一台がやっと通れる道幅なので、車の場合は付近で停める場所を探す必要があります。 道路側に開口。残念ながら閉鎖扉あり。 上記左に説明板。一辺30m超の方墳です。 太田市指定史跡 巖穴山古墳 指定年月日:昭和50年(1975)9月22日 所在地:太田市東今泉町752 一辺36.5m(現在墳丘部約30m)、高さ約6mの方墳である。墳丘四辺の方位がそれぞれ東西南北に一致している。発掘調査により幅8mの周堀が確認されている。葺石・埴輪は確認されていまい。 墳丘南側に横穴式石室が開口している。石室は、複式構造をとる大型のものでチャートや凝灰岩の自然石を用いて築造されている。現存する石室の全長は13.4mである。 出土遺

    巌穴山古墳 群馬県太田市東今泉町 - 墳丘からの眺め
  • 愛宕様古墳(赤堀村272号墳) 群馬県伊勢崎市西野町 - 墳丘からの眺め

    前回の赤堀茶臼山古墳へ行く直前に、愛宕様(あたごさま)古墳(の近く)へ寄っていたことに、撮っていた写真で後から気付きました。 墳丘東側の道路から、北方向。 左前方の丘上に、愛宕様古墳。 通り過ぎて北側から振り返って。 That's all. 古墳マップさんによれば、全長28mの帆立貝式古墳で5世紀代の築造、「上毛古墳綜覧では、赤堀村272号古墳とのことです。 愛宕様古墳 - 古墳マップ 2021年12月上旬訪問 ランキング参加中歴史 ランキング参加中旅行 ランキング参加中写真・カメラ

    愛宕様古墳(赤堀村272号墳) 群馬県伊勢崎市西野町 - 墳丘からの眺め