2009年6月1日のブックマーク (2件)

  • 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 - リアリズムと防衛を学ぶ

    は長らく平和を謳歌してきた。(拉致被害者やその家族の皆さんにとっては欺瞞の平和に過ぎなかったけれど) そんな中で防衛力の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともなった。 だが、歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多い。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 「勝ち目もないのに日戦争なんかするわけない」 「ただの脅しだ。フセインはカネが欲しいだけで、当に戦争をする気はない」 「戦争なんか起こるわけがない」という楽観は常に危険 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 1983年4月、フォークランド紛争が起こった。アルゼンチンとイギリスとの紛争だ。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことだ。 だが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、という論理的な意見があった。例えば83年

    「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 - リアリズムと防衛を学ぶ
  • 史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄やはてなブックマーク - 南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでの案の定な反応には何とも言えない残念な気持ちにさせられますね。 それではぼちぼち答えていきますか。 何で「30万人説」を否定するとおこられるの? 日側の研究では30万人説の蓋然性が低いことは常識です。なのに「30万人説」を否定してどっちもどっち的なことを言うと(この論争においていつものことですが)おこられたりすることがあるわけです。理不尽に思えますよね。その反感わかりますよ。 その事情を説明しますので読んでいただければと思います。 6「虐殺少数説」の登場 章で見てきたように、一九八〇年代は、南京事件をめぐる激しい論争に触発されながら、南京戦に参加した旧軍関係者の記録や証

    史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記