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ブックマーク / ta-nishi.hatenablog.com (4)

  • 『オタクvsサブカルは、ありまぁす!』と、オタクサブカル老害エリート文化人のみなさまに言ってやりたい - 自意識高い系男子

    何度目だ タイトル、正確には「ありました」と過去形なわけですが。 オタク対サブカルという来はなかった対立項を無理やりデッチ上げたのはまったくロック的感性のないオタクアミーゴスの連中ですよ。@ugtk— 町山智浩 (@TomoMachi) 2016年5月31日 ↑町山智浩氏の「オタクvsサブカルはなかった」発言。以前、竹熊健太郎氏が同じようなことを言っていて、うちのブログでも「んなわけねぇだろ!」と反論しましたが。 なんで私と町山竹熊両氏の間でこんな認識の違いが産まれてくるのかっていうと、私の中では結論はもう出ていて、要するに世代と環境の違いなんだと思います。 町山氏も竹熊氏も60年代産まれで、サブカル黎明期に思春期を送った世代です。確かにこのころはまだ、オタクとサブカルは対立していなかった。オタクはサブカルの一流派であり、マンガも洋楽もアニメもYMOも映画も特撮も、全部平等に消費していた

    『オタクvsサブカルは、ありまぁす!』と、オタクサブカル老害エリート文化人のみなさまに言ってやりたい - 自意識高い系男子
  • オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子

    先制攻撃を仕掛けてきたのはサブカルだった 竹熊健太郎氏が「オタクvsサブカルはオタクの妬みから始まったもの」と言っているのは以前も見て知ってはいるのですが、違うよ、ぜんぜん違うよ!と、ここはひとつ主張しておきたいところ。 以前↑の記事で書いたように、私の認識では「オタクvsサブカル」ってのは、サブカルが優越感を得るためにオタクをダシに使い始めたことで始まった「消費センス競争」なんですよ。 サブカルってのは、「消費センスに優れたオレかっこいい」のナルシシズムを基とする文化なので*1、「センスの悪いあいつら」という外敵を構造上必要とする文化なんですよね。で、その「外敵」としてターゲットにされたのがオタクだった。 サブカル側の人間である、中森明夫氏の「おたくの研究」や宮沢章夫氏の「80年代地下文化論」を読むと、当時のサブカルがいかに壮絶にオタクを馬鹿にしていたかが分かって非常にムナクソ悪い気分

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子
  • ネットの「とおりすがり」を、人間扱いしてはいけない - 自意識高い系男子

    オフ会で公開プロポーズをしたコウモリ氏の炎上が終わらない理由について - 人生夢オチ http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20140825/1408972611 コウモリ氏(id:Rlee1984)という方のブログは読んだことがないので、氏がどのような人物なのか私はまったく知らないし、炎上しているコンテキストも「はてなブックマーカーが集まったオフ会で、出し物としてコウモリ氏がフランス人の美人彼女にプロポーズしたら批判された」程度のことをブックマーク経由で聞きかじっている程度なので、氏への批判が妥当なものなのかということには一切触れるつもりはないのですが。 「ネットで目立つ行動をしてそれに批判が集まり、さらに反論して火に油を注ぐ」ことは、10年近く前に別ネームでブログを書いていたころ、私も何度か経験しているので、ネットでの振る舞い方について、思ったことを書きます。

    ネットの「とおりすがり」を、人間扱いしてはいけない - 自意識高い系男子
    hungchang
    hungchang 2014/08/26
    「ネットで炎上を見かけた際、「あまりにも叩かれすぎている」と感じたら、炎上に加わりたいと思ってもグッと我慢し、黙って立ち去るなり、心身に余裕があれば釘を挿したりする」
  • 「産まれと才能 > 努力」だと思う人が、ひと昔前より増えていると感じるし、実際「努力が報われない世の中」になってると思う - 自意識高い系男子

    為末さん、あなたがそれ言っちゃあ… 成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。— 為末 大 (@daijapan) 2013年10月21日 為末大さんという人は、とても自己洞察が深く、とても正直な人だと思う。成功者というものは往々にして、自分の成功の要因は産まれや運や才能ではなく、努力にあったと思いたがるものなのに、「産まれと才能 > 努力」ということを、平然と言ってしまう*1。 私ももちろん、「産まれと才能 > 努力」だと思っている。これは私だけでなく世の中の流れとして、ひと昔前に比べてより多くの人が、「産まれと才能 > 努力」だと思うようになってきていると感じられる。 この「空気」を作り出しているのは、

    hungchang
    hungchang 2013/10/27
    かつてより「努力しても報われない社会」になったのではなく、「努力しても報われない」ことに気付いた人が増えただけかと。それは社会が健全な方向に進んでいる証。我々はさらなるアップデートを目指すべきでは。
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