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足利尊氏ってこんな人 後醍醐天皇に乗って倒幕に参加 後醍醐天皇の政治がクソなので、武士の土地保証を独自に開始 後醍醐天皇の息子護良親王に邪魔されたので、周到に追い詰めて鎌倉に幽閉 機会を上手くつくって鎌倉を奪取 キレた後醍醐天皇が新田義貞を仕向ける 尊氏、天皇に反逆してる事に気付いて発狂 発狂して、寺に閉じ込もる 尊氏の弟の直義、しかたがないので自分が出陣 直義ボロ負け 尊氏、出陣 尊氏のありがたい台詞「弟の直義が死んだとしたら、俺が生きている意味は無い」 尊氏、新田義貞を破る 尊氏、そのまま京都に攻め登る 奥州から帝方の北畠顕家が追って来た 尊氏、京都でボコボコにされる 尊氏、九州まで逃げる 尊氏、逃げる途中で皇室の偉い人から旗を貰う 尊氏、九州で千人ぐらいの軍を纏めあげる 尊氏、菊池軍三万に襲われる 尊氏、千人で三万に勝つ 尊氏、九州で大軍を纏
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
小松 清廉(こまつ きよかど)は、幕末から明治初期の政治家。維新の十傑の1人。旧名は肝付 兼戈(きもつき かねたけ)。通称は尚五郎(なおごろう)のちに帯刀(たてわき)。また明治には従四位下玄蕃頭の位階官職を与えられたため、玄蕃頭とも称された[1]。 薩摩国吉利(2,600石)領主だった薩摩藩士小松家の当主で、幕末に薩摩藩の家老に出世し藩政改革と幕末政局(薩長同盟、大政奉還など)において重要な役割を果たして明治維新の成就に貢献した。維新後には新政府で参与、総裁局顧問、外国事務局判事などの要職に任じられていたが、直後の明治3年(1870年)に世を去った[2]。 明治に入ってすぐの病死だったため、その後に明治政府で活躍した同じ薩摩出身の西郷隆盛や大久保利通の知名度に隠れがちであったが、小松家について多く記した玉里島津家史料の黎明館への寄贈により、21世紀にその事績の研究と再評価が進んだ[3]。
『南京の真実』(なんきんのしんじつ)は、日本の映画作品。監督は水島総。全三部作を予定。2008年1月、第1部「七人の死刑囚」を公開した。 概要[編集] 「南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える映画」と称して製作され、日中戦争下の南京事件を「歴史的事実に基づく政治的創作」として描く。制作主旨として、映画『南京』(2007年、アメリカ)を「中国共産党政府による国際的情報戦争(プロパガンダ)の一環」と位置づけ、「自虐史観に毒された歴史認識を打破し、『南京大虐殺』などは虚構であったということを証明したい」と監督の名で表明している[1]。 2008年1月、第1部「七人の死刑囚」を公開。日本国内においては『産経新聞』に小さい記事が掲載されたのみにとどまった[2]。 2017年1月、第3部「支那事変と中国共産党」を公開。 第2部、第4部、第5部も公開を目指し製作を予定している。関連情報をウェブサイ
先日、実家に帰った際に亡くなった祖父の残した戦争時の手記を父が書き起こしたものを見せてもらいました。父がその手記をまとめた時に私はまだ小学生で、全く興味を持たなかったんですが、今見てみるととても面白く、手記の主人公である「俺(祖父)」(昭和十六年当時二十八歳)に感情移入して一気に読み終えてしまいました。 内容は祖父が戦争で大活躍をするわけでもなければ映画で描かれるような戦場に居合わせるわけでもありませんが、(だからこそ孫である私が存在しているわけですが)現地の意外といい加減な雰囲気や食べ物の美味さや匂い、仲間との失敗談などがとても身近に感じられ、それと同時に戦争時の過酷な状況にも驚きました。 祖父は筆まめな人で戦争から戻ってからこれを書いたそうですが、元々他人に見せるものではなかったのか、今読んでも軽い文体で読み易く、このまま消えてしまうのは勿体無いので、たいした量ではないんですが、少しず
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