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この時期になると就職活動の明暗が別れてくる。 泣く者、笑う者、絶望して立ち尽くす者、諦めず前進する者etc... 僕は早期から就職活動をしていたこともあり中小ではあるが内定をいただくことができた。 僕は辛うじて笑う者になれたのだ。 笑う者になった。だからといって人の内定先を笑ったりはしない。 僕は安堵して笑う者となったのだ。なのに、就職活動に諦め半ば投げやりになっている友はあろうことか僕の内定先を鼻で笑って見下してくる。 僕は思う。だからお前は内定をもらえないのだと。 最近では 休学して留学する!グローバルな人材になる! お金はバイトしてためる! と鼻息荒く言っていた。 僕は友人に笑顔で言う。 「それもいいんじゃない」 10年後の彼の未来が楽しみだ。
ここ最近、山本太郎や劇団ひとりなど、何げない書き込みから“社会的責任”をとったり、“炎上”騒ぎに巻き込まれるケースが増えている。Twitterやfacebookなど、個人情報の一部を公開するSNSでは、不用意な書き込みが、ネット上で一気に広まってしまう危険性をはらんでいる。 特にTwitterの場合、気軽につぶやけてしまうことから、失言してしまうと大変な目にあうことにも……。 これは有名人だけの問題ではない。一般人のツイートが有名人の名誉を傷つけたとし、大きくニュースに取り上げられることもある。その一つが、スポーツメーカー・アディダスの従業員が契約サッカー選手ハーフナー・マイクさんとその家族を中傷する「つぶやき」を行い、大きな騒動に発展したケースだ。 アディダスは公式ホームページですぐさま謝罪。その後、当該従業員も社を追われることに……。 つぶやいた人・投稿した人自身が罪や責任を問わ
まず始めに断っておくが、「きっこ族」というのは「きっこのファンや信奉者」という意味ではなく、「きっこ的なメンタリティの持ち主」という意味である。ゆえにきっこに批判的なスタンスを取る者も充分「きっこ族」に成り得る。 特徴1・マスコミ不信 「きっこ族」とは、ネット上で暗躍する特定政治クラスタの総称である。副島隆彦氏周辺からは「新B層」と呼ばれているが、自分は基本的に「B層」という造語を好まないので、便宜上「きっこ族」と呼ぶことにする。 「きっこ族」は反体制主義であり、「政府は重要な問題を常に隠蔽している」という前提に立っているので、政府発表は信用しない(が、自説に都合の良い発表は信じる)。さらに大手新聞や在京テレビ局は記者クラブを通じて政府に篭絡され政府の御用機関となっているという前提にも立っているので、それらが発するニュースも捏造と決め付ける(自説に都合の良い発表は信じる)。 で、大手メディ
気になったエントリが、二件ほどあったので。 F's Garage:身も蓋もなくなるインターネット フェイスブックが実名性を取った事が成功要因なのではない。そのソーシャルグラフを友達関係に絞っているのが凄い。リアルな友達関係から、さらにリアルな友達関係の接続の輪を繋ぐために実名が必要だった、それだけだ。 僕ぐらいのネットジャンキーになると、インターネット経由の知人のほうが多いのだが、友達の友達はたぶん友達だろう、という感じで誰かわからないままFacebook申請しまくって、相手も多分そんな雰囲気で承認してもらえて、逆に知り合いだとまったくわからなくてもTwitterの「友達が多いやつは面白いんじゃね?」ということで許可しあって、結果としてまったく新しい人間関係が構築されている。 これはたぶん、「富めるものは富む」っていう傾向なんだろうけど、アーリーアダプター同士が新サービスを楽しむエコシステ
募金でもボランティアでも何でもそうだけど、そういった「善行」が自分にとっては全く理解できない。 どっかのハゲ社長みたいに、自己資産から*億寄付します!とかって公言してからの寄付の価値はわかる。 企業とか自身のイメージアップとか、そのお金を失ってもメリットは大いにあるからね。 ただ、店先での募金みたいな、誰からも評価されず、してもしなくても変わらないのに 自分から「善行」が出来てしまう人の気が知れない。 募金とかなら、金の有り余ってる金持ちだけがしたらいい話で、一般庶民の自分たちが、 多少でも生活費を削ってまですることなんて全くないと思う。 昔からそう思ってきたけど、社会で生きる以上、他人を蹴落とながら、 間接的に殺し合いをしながら生きていかないといけないはずなのに、 表面上はニコニコ仲良くとか本当に気持ち悪い。 さすがにメシウマとまでは言わないけれど、他人がどんなに苦しもうが知ったことでは
メイジズなるマンチェスターで結成された若いインディ・ロック・バンドのデビュー・アルバムを買った理由はレーベルが〈ファットキャット〉だからだ。久しぶりに聴いてみようかと思った。パンダ・ベアの7インチも〈ファットキャット〉から発表された曲がいちばん良かったし。店員さんからは「テレヴィジョン・パーソナリティーズっぽい」と言われ、『ガーディアン』には「ラモーンズとザ・キンクスの出会い」と書かれていたので、それなら悪くはなさそうだと思った。 で、実際に、「テレヴィジョン・パーソナリティーズっぽい」し、「ラモーンズとザ・キンクスの出会い」というのも当たっていた。演奏も歌メロもUKらしいモッズ系のシンプルなロックに思えるが、『ピッチフォーク』には90年代のUSローファイ・インディの焼き直しに聴こえるらしい。そんなわけで『タイニー・ミックステープス』は「どんなバンドにも聴こえてしまうような、個性を欠いた、
「あの花」最終回、もやもやするものが溢れてきて最後まで見れなかった。 誰が好き、誰が振り向いてくれない、理解できなかった、理解できた。 恋愛感情のあれこれを真っすぐに出しすぎなところが、もう無理。 録画を一時停止しながら、ゲームして気持ちを切り替えながら見てたけど、つることあなるのやり取り見てる途中で消してしまった。もう一度見返すこともないだろう。 もうすぐ30歳にもなる傷だらけの心に、傷が一つ増えたところでなんも感じないから、チビハゲキモイと罵倒されても、優越感ゲームのために馬鹿にされても、誘いをむげに断られても笑って流せるけど、あのやり取りは無理、逃げ出したくなるし実際逃げたし。 スポーツとか勝負事に関する嫉妬とか悔しいとかは理解できるし一緒に泣けるんだけどなぁ。 まともな恋愛してない年齢=童貞だから、逃げたくなるんだろうか? 好奇心からいろんなことにワクワクすることはあっても、人間関
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