スープの存在意義がわからない。 いや、すまない。少々話を広げすぎた。 駅近くのスープ専門店のスープ、街のレストランで数百円の値段をつけられているスープ、そういった料理として十分に成立しているスープの話をしたいんじゃないんだ。 あれは美味しい。普段頼むことはあまりないが、ちょっとした贅沢として十分に食事の楽しみと満足感を増やしてくれる。 そう、スープは本来独立した一品として一回の食事に華を添え、ときに大きな満足感を与えてくれるものではないだろうか。 例えば街の中華料理屋。チャーハンを頼むとまるで当然のように黄色いスープがついてくる。 中華だしか何かで味がつけられ、申し訳程度に胡麻が浮かんでいるアレだ。 我々は、あのスープに何の役割を見い出せばいいのだろう。 例えば古びた定食屋。定食といえばミソスープが付き物だ。 しかし、そこで出てきたのは味噌を溶かしたお湯のような液体。固形物は見当たらない。