イスタンブール歴史地域[1](イスタンブールれきしちいき、トルコ語: İstanbul'un Tarihi Alanları)は、トルコ最大の都市イスタンブールの旧市街にある歴史的建造物群に設定されたユネスコの世界遺産リスト登録物件(文化遺産)。日本では「イスタンブール(の)歴史地区」[2]などとも表記される。 イスタンブール歴史地域は、4世紀以来東ローマ帝国の帝都コンスタンティノポリス(英語名コンスタンティノープル)が、15世紀からはオスマン帝国の帝都イスタンブール(別名コスタンティニエ)が位置した、現在のイスタンブールの旧市街地区に設定されている。 この町はアジア州のアナトリア半島とヨーロッパ州のバルカン半島を隔てるボスポラス海峡のヨーロッパ側にある半島に位置し、海峡を抜けて北に出れば黒海、南に抜ければエーゲ海に至る海上交通の要衝でもある。 紀元前7世紀頃、このイスタンブール旧市街地区
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年2月) 地下宮殿(ちかきゅうでん)の通称で知られるバシリカ・シスタン (Basilica Cistern) は、トルコ共和国のイスタンブールにある東ローマ帝国の大貯水槽。トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ (Yerebatan Sarayı) 、あるいは「地下貯水池」を意味するイェレバタン・サルヌジュ (Yerebatan Sarnıcı) という名前で呼ばれている。 現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大のものである。現在は一般にも公開され、イスタンブール歴史地域として世界遺産にも登録されている。 概説[編集] この大会堂規模の大きさを持つ貯水池は、東ローマ帝国の皇帝ユスティニア
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