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ブックマーク / ekrits.jp (5)

  • 浅野紀予「イメージと詩の精神」 | ÉKRITS / エクリ

    見出される時を求めて 生命は、いましがた、ひきさがるときに、人生の幻滅をもっていってしまった。ある微笑が祖母の唇の上に浮かんでいるように見えるのであった。この喪のベッドの上に、死はすでに、中世の彫刻師のように、彼女を乙女の姿で横たえていた。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて※1』 自分のなかに、いつまでも消えることのない痕跡を刻みつけるような一葉の詩、一枚の絵画、あるいは一編の小説と、これまで幾たびか出会ってきました。『失われた時を求めて』は、そのような作品のひとつであるのですが、この長い長い物語のなかで、わたしはかつて感じたことのないような、不思議な感覚を体験しました。 それは、話者である主人公の祖母が、病いによって亡くなる場面でのことでした。より正確には、息を引き取った祖母の亡骸を話者が見つめている、わずかな時間についての叙述を読んでいたときのことです。わたしはそのとき、文庫

    浅野紀予「イメージと詩の精神」 | ÉKRITS / エクリ
  • 上妻世海「消費から参加へ、そして制作へ」 | ÉKRITS / エクリ

    現代の情報技術が可能にした現実空間 キュレーターのマリサ・オルソンは、ポストインターネットという用語によって「情報空間」と「物理空間」の境目が曖昧になった社会状況を指し示した。そして、これまでポストインターネットアートの多くは、「情報空間」と「物理空間」という二つのレイヤーの移動を問題にしてきた。ポストインターネットアーティストは、その境界を横断する。しかし、物理空間を3Dスキャンすることで情報空間へと移行させることや情報空間を物理空間へ反映させようとする行為は、端的に言えばサイバーパンク的な想像力の延長線上にあり、過去の想像力を現代の技術的環境で実現しようとするものに過ぎない。それらは想像力のレベルで、何も刷新していない。 僕の考える現代社会の特徴は「情報空間」と「物理空間」の境目が曖昧になったというよりも、むしろ「情報空間」と「物理空間」が入れ子状にフィードバックループを形成しながら相

    上妻世海「消費から参加へ、そして制作へ」 | ÉKRITS / エクリ
  • 小石祐介「ファッション、離散化される人間の様装」 | ÉKRITS / エクリ

    ファッション」のデザインとは、何を射程にしたものなのだろうか。自らの意思だけで装いや生き方を選ぶことのできなかった時代に、ファッションは人を記号として見る世界をハックするための革命装置だった。誰もが衣服や生き方を選択できるようになった今、我々は何をハックすればいいのだろうか。 人間をつくるファッション いつの頃からか芸術、文芸、ファッションなど、人間が作ったものから感じる質感やテクスチャーの根源を知りたいという漠然とした思いがあった。私自身が感じているこの感覚の質は、何か普遍的な形で表現することが可能なのだろうか。そのテクスチャーの強い存在感は何故私に影響を与えるのだろうか。 こんなことを考えていたのは今から約10年ほど前のことで、その頃私は化学反応のカオスと生命現象への関わりを調べながら、何かしらの厳密な数理的アプローチで、人間の認知について研究をしたいという希望を抱いていた※1。

    小石祐介「ファッション、離散化される人間の様装」 | ÉKRITS / エクリ
  • 渡邊恵太「インタラクションコストとアプローチャビリティ」 | ÉKRITS / エクリ

    インタラクションには行為のコストがある。インタラクション自体のみならず、その行為を始めるまでのインタラクションのコストを考えることが大切だ。今回のテキストでは、主にVR(ヴァーチャルリアリティ)やAR(拡張現実)におけるインタラクションの問題を例に、「インタラクションコスト」について考察していく。 ここで注目するのは、プロダクトやサービスを利用する際のインタラクションではなく、その体験の「外部」で生じるインタラクションである。インタラクションコストという用語で示したいのは、利用状態に入るまでのインタラクションが、行為を始める上での障壁になるということだ。 体験の外部にもあるインタラクション 現在「VRとインタラクション」について聞くと、没入感を高めたり酔わないようにする設計など、VRコンテンツというVR空間の「内部」に関わる話がほとんどだ。そこにも多くの課題はあるものの、筆者が常々思う課題

    渡邊恵太「インタラクションコストとアプローチャビリティ」 | ÉKRITS / エクリ
  • 浅野紀予「思弁的世界とコミュニケーション」 | ÉKRITS / エクリ

    彼女は携えてきた一巻の詩集を見せる。そしてその大きな楡の木陰に腰をおろし、すらりと伸びた脚を惜しげもなく投げ出して、詩集を読み始める。こうして詩を読んでいると、とても楽しいの、彼女はいう。特に私の好きな詩に出会った時なんかまるで時間がとまっちゃって、私が世界で一杯になってはちきれそうになるわ。谷川俊太郎「世界へ!」 意味を超えた世界 子どもの頃から、詩を読むのが大好きだった。学校の図書室の片隅に並んだ数々の詩集を、わたしはひとつ残らず、貪るかのように読み耽っていた。ことばを通じて、ことばではないものがわたしを満たしてくれるような経験。詩に触れるよろこびは、多感な時期を過ごしつつあった自分にとって、どこか官能的でひそやかなものにさえ感じられた。 しかし、高校生の時に出会った谷川俊太郎の「世界へ!」というエッセイを読んだ時、わたしはおそらく生まれて初めて、「詩とは何か」という問いに向き合うこと

    浅野紀予「思弁的世界とコミュニケーション」 | ÉKRITS / エクリ
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