デジタル源氏物語(AI画像検索版)
三幕構成の見取り図[1]。 ウェンデル・ウェルマンによるプロット・ライン・グラフ (一部追記)。 赤とオレンジは主人公が敵対者と衝突するシーン[2]。 三幕構成(さんまくこうせい、Three-act structure)は、脚本の構成である。三幕構成では、ストーリーは3つの幕 (部分) に分かれる。それぞれの幕は設定 (Set-up)、対立 (Confrontation)[3]、解決 (Resolution) の役割を持つ[4]。3つの幕の比は1:2:1である[5]。 幕と幕はターニングポイントでつながっている。ターニングポイント (プロットポイント) は、主人公に行動を起こさせ、ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事である[6][7][8]。 一般に、映画の脚本は三幕構成になっている。国際的には、映画は三幕構成のモデルに基づいて制作されている[9][10][11][12]。三幕構成のモ
[Diane Coyle, “Once upon a time,” The Englightened Economist, August 29, 2019.] これほどいろんなところで物語への関心がぽこぽこ湧き出しているのはとても興味深い.王立協会は,人工知能における物語,ひいては科学における物語に,着目している.『投機バブル:根拠なき熱狂』の著者として(そしてノーベル賞受賞者として)名高いロバート・シラーが新しく出した本の題名は,『物語りの経済学:お話はいかにして伝播し大きな経済的事象を駆動するのか』という.この本のもとになっているのは,2年ほど前にシラーがやった講義だ.冒頭をこう書き出している:「本書は,経済変化の新理論の初手を提示し,定番の経済的要因リストに新しい重要要素を導入する:その要素とは,口コミや報道メディアやソーシャルメディアをつうじて人から人へと伝播して人気を博する感染力
UPDATE 2016 07/19 「議論の可視化」が導きだすのは、会議の結論だけではない 井口奈保×清水淳子 対談 こんにちは、ビジュアルシフト編集部の八島です。昨今、グラフィックレコーディング(以下、GR)という議論を可視化するための手法に注目が集まっていますが、皆さんはGRがどのようなものかご存知ですか? 完成したグラフィックを目にしたことがあるという方も多いかと思いますが、その効果について本質的な議論が尽くされているとは言いがたいのが現状です。一体この手法は、どのような歴史的背景から生まれ、活用されてきたのでしょうか。 日本人としていち早くグラフィックファシリテーション(以下GF)を取り入れ、現在はベルリンでコミュニケーションプロセスデザイナーとして働く井口奈保さんと、Yahoo! JAPAN データ&サイエンスソリューション統括本部でUXデザイナーを務めながら、Tokyo Gra
当ブログの最新記事一覧が『ズートピア』で埋め尽くされてて『乙嫁語り』のパリヤさん顔で「うへえ」となりそうな今日このごろですが、もうちょっとだけ『ズートピア』の話をしたいと思います。 今回はズートピアの制作過程について、です。ガイドブックや各種インタビューを読んだ人は漠然とながら掴んでるようなことだと思います。 ネットで読めるインタビュー漁ったのを主観的に再構成したものなので詳細不明な部分*1も多く、あるいは間違いがあったり、誤訳や誤解してる部分があったりするかもしれません。お気付きの場合はご指摘いただけると幸いです。 さしてネタバレはないですが、基本的には観た人向きです。 鈍行列車じゃ too late 『ズートピア』の終盤、ジュディとニックが暴走した機関車に乗ってアクションを繰り広げるシーンが展開される。 目の前から対向車が迫ってくるが、彼らの乗る機関車はブレーキがきかない。 このままだ
マンガ研究フォーラム「マンガのナラトロジー ―マンガ研究における〈物語論(ナラトロジー)〉の意義と可能性」 日時:2015年11月14日(土)13時30分~17時40分 場所:学習院大学・南1号館201教室(東京・目白) 発表:「物語経験の時間性」森本浩一(東北大学大学院文学研究科教授) キースピーチ:「マンガ研究の転換期について」夏目房之介 コメンテーター:野田謙介、中田健太郎、三浦知志、三輪健太朗(発言順) 進行:佐々木果 (発言録テキスト作成:田原康夫、文責:佐々木果) 当日は、冒頭に夏目房之介氏からキースピーチがあった後、森本浩一氏の発表が約90分行なわれた。休憩をはさみ、後半はコメンテーター4氏による発言と森本氏の応答がなされた。最後に会場の参加者からの質問を受けつけ、討議を終了した。 ここに採録するのは後半のコメンテーター発言以降の記録である。前半の内容については、別にレポート
江戸時代から続く商業の中心地、豊かな文化の象徴、高度経済成長を支えた企業戦士たちの休息地……。長い歴史を持つ日比谷の風景が変わる 11月21日から始まる『リマッピング日比谷プロジェクト「都市と森の境界に現れるアート」展』は、東京・日比谷で展開するアートプロジェクトである。企業オフィスビルや官公庁、日比谷公園や大劇場など、政治や文化の日本の中枢とも呼べる日比谷では、現在、新たなビジネス・文化交流の発信拠点を作り出す「(仮称)新日比谷プロジェクト」が進行中だ。江戸時代から続く商業の中心地、豊かな暮らしと文化の象徴、日本の高度経済成長を支えた企業戦士たちの休息地……。長い歴史を持つ日比谷の風景が今大きく変わりつつある。同プロジェクトは、再開発の象徴とも言える工事現場外壁に巨大アートウォールを掲示し、日比谷公会堂や日比谷図書文化館で作品展示するなど、街の変化をアートによってリマッピング(再編成)す
フィレンツェ、サンタ・クローチェ聖堂。聖堂の正面入口から入ってすぐ右手に見える墓碑は、イタリアルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロ・ブオナローティ[Michelangelo Buonarroti: 1475-1564]の墓である【図1】(※1)。1857年9月、ミケランジェロの血筋の最後の一人にあたるコジモ・ブオナローティの妻が亡くなり、墓は彼女の埋葬のために開かれようとしていた(※2)。偉大なる芸術家の遺体を検分するためではなかったとはいえ、このイベントに立ち会った人々は、その24年前にやはり墓の検分がおこなわれた、ルネサンスを代表するもう一人の芸術家、ラファエッロ・サンティ[Raffaello Santi: 1483-1520]のことを思い出していただろう。というのもこの二人においては、19世紀にその墓が開かれたという事実のみならず、その身体の重要性においても共通性が見出されるから
【1月のヤバい女の子/王子様とヤバい女の子】 ●猿婿入り いつか王子様が攫われた私を助けに来てくれる。ちょうどこんな顔をした王子様が。 ――――― 《猿婿入り》 老人は途方に暮れていた。畑へ牛蒡堀りに来たが、朝からひとつも掘れていなかった。痛む腰をさすり、広大な土地を前に困り果てていた。そこへ一匹の猿が現れ、自分が掘ってやろうかと名乗り出た。 「そのかわり、お前の娘を嫁に欲しい」 猿は労働の対価を提示して、軽々と牛蒡を掘ってみせ、三日後に嫁を迎えに来ると言って立ち去った。 老人は軽はずみな口約束をしてしまったことを後悔し、とぼとぼと家に帰った。昼間のできごとを娘に話すが、長女と次女はとんでもないと断ってしまう。狼狽する父の様子に、末娘だけが「親孝行のためなら」と首を縦に振った。彼女は結婚の話を受ける代わりに、嫁入り道具を用意してくれるよう父親に頼んだ。石臼、杵、米である。 約束の日、猿が迎
トップ > 「24ページあればどんな物語でも描ける」――『機械仕掛けの愛』業田良家氏インタビュー!(前編) ( 2015/12/30 ) 『機械仕掛けの愛』で、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞を受賞した業田良家氏。心に似た機能を持つロボットの愛情と葛藤、そして"人間"を描き出す短編オムニバスで感涙の嵐を呼ぶ、名手の秘密に迫る! ――まずは文化庁メディア芸術祭マンガ部門、優秀賞おめでとうございます。 うれしいですね。文化庁メディア芸術祭は、こちらから応募しないと審査もされないし受賞もしないわけですけど、2年前に担当編集者と相談して応募して以来、彼が応募し続けていたのは知りませんでした。アイドル誕生の裏話で、家族や友達が勝手にオーディションに応募したというパターンがありますが、それによく似ているなあと思いました(笑)。 もうひとつうれしいのは、国立新美術館で自分の作品が展示される
五月の末、哲学者であり映画批評家でもある廣瀬純氏とともに、アンスティチュ・フランセ東京のイベントに招かれた。ピエール・ズッカ監督の映画『ロベルト』(一九七八)を上映し、それについて対談するという企画だった。 いささか古い作品だが、原作はピエール・クロソウスキーの『ナント勅令の破棄』である。クロソウスキーの弟バルテュスの展覧会が四月から東京都美術館で開かれていたことを考えれば、上映のタイミングは悪くなかった。ロベルトという特権的な「記号」を軸に書かれたクロソウスキーの奇抜な作品は、『ロベルトは今夜』(一九五三)、『ナント勅令の破棄』(一九五九)、『プロンプター』(一九六一)と続き、これらが一九六三年に一冊にまとめられて『歓待の掟』となった。 私たちのトークでは、廣瀬氏のイニシアティヴにより、「活人画」に焦点が合わされた(しかしここでは、主体のアイデンティティではなく特異性を表象する革命的装置
文庫化されたローティの『プラグマティズムの帰結 (ちくま学芸文庫)』(室井尚ほか訳)を読んでいるところなのだけれど、これの第7章が「虚構的言説の問題なんてあるのだろうか?」となっていて、フィクションに関する存在論的議論の一定のまとめとして興味深い。従来(とはいえこの章を構成する論考が書かれたのは1979年とのことだが)の諸説がここでは四つの大別され(ラッセル、サール、指示の因果説、マイノング主義)、それぞれに簡潔なまとめと批判が加えられる。それらを一通りめぐった上でローティは、なにやらあっけらかんとした「きわめて素朴な観点」を提示してみせる。つまり、以上の四つをすべて回避して、指示の観念など無意味だとし、「〜について語る」という常識的観念があればいいんじゃないの、その「〜」を決める規準など、話者が心の中にもてばなんだっていいじゃないか、と言うのだ。意味論を認識論から完全に分離せよ、というこ
Hypnerotomachia Poliphili :... www.kinokuniya.co.jp
2017年の8月はまるまるひと月ロンドンにいた。滞在中、E・M・フォースターの小説『モーリス』の舞台のひとつであるケンブリッジを訪ねて、クライヴの部屋があるキングス・カレッジのキャンパスも歩いた。夏休みで、観光客ばかりだった。キャンパス内の建物の窓は、ほとんど閉じていた。緑が青々と茂り、窓の下半分を覆っていたのが印象的だった。いずれ、窓全体を覆ってしまうのだろうか。 『モーリス』において、主人公モーリスは窓からクライヴの部屋に入る。彼はクライヴにキスをして、すぐに同じ窓から部屋を出る。後半、庭師のアレックスも、窓からモーリスの部屋に入る。映画では窓は開いたまま。でも、夜がきっとふたりを隠してくれるのだろう。夜明けにアレックスが去り、執事が部屋に入る頃には窓はぴったり閉められている。 サマセット・モームは第一次世界大戦中スパイ活動に携わるようになり、ジュネーヴにあるオテル・ダングルテールの一
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く