中途半端な英語使いが英国からのニュースを東京で読み、あちこちふらふらうろうろ。時々嘘。 はてブ = http://b.hatena.ne.jp/nofrills Twitter = http://twitter.com/nofrills Twitterのログ = http://twilog.org/nofrills ◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月) ◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月) ◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください
女性運動界隈で、よく聞く言葉に「元気をもらう」というものがある。 「この集会で、元気をもらいました」とか、「皆さんと交流できて、元気をもらいました」とか、「○○さんに元気をもらいました」というように使われるのをよく聞く。直接会った時のみならず、メールなどでもよく見る表現だ。 だが、私はどうもこの「元気をもらう」という言葉に違和感を覚えてしまうのだ。聞くたびに、そしてメールなどで見るたびに、気になってしまう。 何が気になるのだろう?と考えてみると、女性運動界隈で「元気をもらう」という表現が使われるコンテクストに問題があるのかなと思えてきた。思いつくのが、東京など「中央」とされる地域で開かれる集会や、全国規模の集会(たとえばNWECフォーラムとか、日本女性会議とか、民間の団体にしても、様々な地域から人が集まる類いの集会)において、地方からきた人たちが「ここに来て元気をもらいました」という
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