2021年5月14日のブックマーク (2件)

  • 一人だけ格が違うトッププロが衰えていくのが好きだ

    anond:20210513152256 圧倒的な強さを誇っていた超人が、全盛期を過ぎて勝てなくなってきてもなお競技に打ち込み続ける姿が好きだ。 世の中には、強者がその実力に翳りが見えてきた段階でいち早く引退することを美徳と捉える風潮もあるが、私はむしろ完全に勝てなくなるまで戦い続けるかつての超人にこそ美学を感じる。 「引き際」とか「有終の美」とかいう言葉はひとつの価値観だとは思うが、それが美しいのはあくまでレベル80~100の並のプロの話であって、レベル150の超人にはあまり似つかわしくないと思う。 その世界を完全に制覇した超人たちにとって、勝てなくなった自分の姿を晒し続けるメリットは来多くはない。 かつての栄光を思えば屈辱は多く、ファンを失望させるのではないかという恐怖も大きなものだろう。 それでも超人が競技を続けるのは、おそらくひとつの時代を作ってしまった超人なりの責任の取り方なの

    一人だけ格が違うトッププロが衰えていくのが好きだ
    ibip
    ibip 2021/05/14
    フェデラーの今が旬
  • 「一流の専門家のはずなのに」なぜ大学教授の話はわかりづらく感じるのか 頭の良さと説明の上手さは別問題

    学力と説明力は別次元のもの 中学生や高校生の頃、テレビニュースを観ていて、「なんで、学者の人の話はこうもわかりにくいんだろう? この人、すごく頭いいはずなのに……」――よくそう思っていました。 しかし、いざ自分が予備校で教える立場になってみると、恥ずかしい話、生徒に飽きられたり、寝られてしまったりしたことは何度もありました。 もっとも始末が悪かったのは、講義に生徒が来なくなってしまったことです。これを業界用語で「授業を切る」といいます。塾や予備校の講師が生徒に授業を切られたらおしまいです。 「この先生の講義を聴いても時間のムダだ」――そう思われてしまったということです。自分自身の知識レベルや理解度がある水準に達しているからといって、それだけで相手にしっかりわかってもらえる説明ができるというわけではないことを痛感しました。 相手にしっかり理解してもらうための説明ができるというのは、自分の学力

    「一流の専門家のはずなのに」なぜ大学教授の話はわかりづらく感じるのか 頭の良さと説明の上手さは別問題
    ibip
    ibip 2021/05/14
    大学では学生は共に研究する者 研究する意思のないものに授業は当然難しい