2022年2月11日のブックマーク (5件)

  • 伝え継ぐ家庭料理

    「伝え継ぐ 日の家庭料理」出版にあたって 一般社団法人 日調理科学会では、2000年度以来、「調理文化の地域性と調理科学」をテーマにした特別研究に取り組んできました。2012年度からは「次世代に伝え継ぐ 日の家庭料理」の全国的な調査研究をしています。この研究では地域に残されている特徴ある家庭料理を、聞き書き調査により地域の暮らしの背景とともに記録しています。 こうした研究の蓄積を活かし、「伝え継ぐ 日の家庭料理」の刊行を企図しました。全国に著作委員会を設置し、都道府県ごとに40品の次世代に伝え継ぎたい家庭料理を選びました。その基準は次の2点です。 ①およそ昭和35 年から45 年までに地域に定着していた家庭料理 ② 地域の人々が次の世代以降もつくってほしい、べてほしいと願っている料理 そうして全国から約1900 品の料理が集まりました。それを、「すし」「野菜のおかず」「行事」と

    伝え継ぐ家庭料理
  • 「○○を囲む夕べ」が昼間の実施に変更されるとしたら、

    「○○を囲む夕べ」の「夕べ」って、昼間だったら何て言うの?

    「○○を囲む夕べ」が昼間の実施に変更されるとしたら、
    ichigocage
    ichigocage 2022/02/11
    茶話会?
  • (第45回)黙殺された日本の市民的不服従─「役人ごろし」の「ヤミ米屋」(住吉雅美) | Web日本評論

    どぶろく裁判上告審判決 酒税法7条1項、54条1項の規定と憲法31条、13条 最高裁判所平成元年12月14日第一小法廷判決 【判例時報1339号83頁掲載】 私にはこの判決を持ち上げる気など毛頭ない。むしろ不愉快な判決である。「酒税収入の徴収確保に支障を生ぜしめる」などと実情に合わない理由で酒税法を擁護する一方で、自己消費目的の酒類製造を処罰することにつき「憲法31条、13条に違反するものではない」と憲法判断を回避するという、きわめて内容の薄い判決だからだ。何より腹立たしいのは、こんな判決がデータベースに残っている一方で、それよりもっと重要なもうひとつのどぶろく販売裁判、そしてその裁判の被告人がそれ以前に被告人となったヤミ米販売事件が掲載されていないことである。よくわからないが、日では裁判所や政府にとって何らかの意味で都合の悪い判決は、データベースに残されないことがあるのだろうか。そこで

    (第45回)黙殺された日本の市民的不服従─「役人ごろし」の「ヤミ米屋」(住吉雅美) | Web日本評論
  • 東海道線 静岡県内の駅に全部降りて観光する フルーツ編 富士駅~興津駅

    1992年東京生まれ。普段は商品についてくるオマケとかを考えている会社員。好きなべ物はちくわです。最近子どもが生まれたので「人間ってすごい」と気で感じています。(動画インタビュー) 前の記事:東海道線 静岡県内の駅に全部降りて観光する 富士山編 熱海駅~吉原駅 > 個人サイト 日和見びより 富士駅:ご当地グルメ「かつ皿」 ひとつ前の吉原駅で久しぶりの自転車を全力で漕いで一気に足に疲れが溜まってしまった。休憩も兼ねて次の富士駅でランチとしたい。 13:07富士駅。どっちの出口もメインっぽくない駅前だった。 富士山がめっちゃでかく見える商店街。実物は写真よりも迫力があった。 ここ富士駅でべたかったのが富士ブランド認定品でもあるご当地グルメ「かつ皿」だ。 かつ皿がいただけるのはこちらの「金時」さん ちょうどお昼時だったこともあり店内は地元の方らしきお客さんでいっぱいだった。店内のテレビで流

    東海道線 静岡県内の駅に全部降りて観光する フルーツ編 富士駅~興津駅
    ichigocage
    ichigocage 2022/02/11
    桜えびは捕れる期間が春と秋に限られてて、すごく短いし、最近は捕れる期間に行っても不漁で食べられなかったりする/最寄り駅は由比のイメージ近いけど蒲原からも行ける。蒲原宿は旧五十嵐歯科医院など文化財も多い
  • 変わっていく商店街、変わらない商店街【兵庫県明石市】(文・はらだ有彩) - SUUMOタウン

    著: はらだ有彩 ときどき、無性に商店街が恋しくなる。ずらりと続く店先に、魚やかまぼこ、乾物や果物やお茶、あらゆるものが並べられ、向かい合った軒の間を人々が行き交う。ケースの中で跳ねる魚に思わず零れる感嘆、年季の入った「昼網」の看板、走り書きの値札、無造作に置かれたトロ箱、さっぱりとした呼び込みの声。商品を品定めしながら忙しなく歩き回る人、ただぷらぷらしている人、それぞれの歩く速さ。物心ついたころからずっとシャッターが閉ざされている一角、若い人がオープンした新しい店。にぎわいをゆるやかに包み込む高いアーケード。故郷に帰りたくなると、今住んでいる町でもふと商店街を探してしまう。 子どものころは、「何もない」町だと思っていた。小学校の遠足といえば校舎の窓からいつも見えている明石公園か天文科学館だったし、明石城跡は当たり前にそこにありすぎて城というよりもはや近所の家という感じだし、港には漁船がび

    変わっていく商店街、変わらない商店街【兵庫県明石市】(文・はらだ有彩) - SUUMOタウン