東は隅田川 南北は山手線 西は環七 ここ辺りだと思う。 それより外側になると地方都市と大差ない。
先日、『春琴抄』と『ホーキーベカコン』を読みました。2つを色々比較して読んでみたいと思います。 1 『春琴抄』と『ホーキーベカコン』 先日、谷崎潤一郎著『春琴抄』と、笹倉綾人著、原案(谷崎潤一郎『春琴抄』)『ホーキーベカコン』を読みました。『春琴抄』の内容は、叫びたくなるほど好きで、『ホーキーベカコン』の細かな描写と表現に、終始悶えてしまいました。その内容を簡単にまとめたいと思います。 「私」が手に入れた『鵙屋春琴伝』。そこには鵙屋琴の一生が、弟子の温井佐助によって記されていました。 大阪薬商人の娘、鵙屋琴は、才色兼備の女の子。明るい性格で、皆から慕われていましたが、9歳の時に眼病を患い、失明。それ以後、琴三弦の道へと進むことになりました。琴の身の回りの世話をする奉公人の佐助は、琴を賛美し、三味線を手に入れ、こっそり練習するようになりました。それをきっかけに2人の関係は「主と従者」、「師匠
2月22日は猫の日ですね。以前から不思議な猫地名として何度か紹介してきた「猫手(ちょっけ)」について、今回あらためて詳しく調べてみました。 図1:地形図でみる猫手(ちょっけ) (地理院地図にて作成) 「猫手(ちょっけ)」は茨城県筑西市猫島(ねこしま)という大字(おおあざ)に含まれる字(あざ)です。猫島は江戸時代までの「猫島村(猫嶋村)」の範囲で、字は小さな村の中のさらに狭い範囲を示しています。 過去の地形図で地名をたどる 現在の地形図の表記を地理院地図で見ると「ちょっけ」というふりがながあります。ただ、今昔マップ(過去の地形図をWeb上で閲覧できるサイト)で見てみると、明治時代の地形図には「猫手」に「チョッカイ」とふりがなが付いていました。その後、戦前の地形図では「チョッケ」となっています。 図2:猫手(ちょっけ)の地図上での記載の変化 (今昔マップ on the webにより作成) ※左
原則として、2023年下半期に発売された作品を対象とする。 書籍であれば、続刊がかさねられていないもの(5巻以内を目安)を優先的にあげていく。 (サムネイルは『火山の娘』〈Gamera Games〉よりお借りしました) 下半期はこっち。 『百合小説コレクション wiz』 『零合 百合総合文芸誌』 「百合」とはなにか。 1970年代に男性同性愛専門雑誌『薔薇族』を創刊した伊藤文學は、女性同性愛にたいし「ナルシシズム」の意味あいで「百合族」と名づけた。 しかし氏が想定していた「百合」と市井の「百合」は少々食いちがう。 「ナルシシズム」よりも聖母マリアの象徴をにおわせるこの語彙は「純潔」や「処女性」を惹起させ、奇しくもそれ以前から女性同性愛風のフィクションにみいだされていた「精神的な愛」というイメージと合致する。 女性同性愛に根ざしながら、それでいて性的ではないようなニュアンスをかもす百合は、直
大岡昇平(編)『中原中也詩集』岩波文庫、1981年 これを読んだ。良さが分からなかった。 北川透『中原中也論集成』思潮社、2007年 困ったのでこれを流し読んだ。おおむね説得的な議論だった。だが1935年生まれの北川透が、なぜ1968-2007年の間に700ページ分もの中原中也論を書いたのか、著者が中也のどこに惹かれたのか、いまいち分からなかった。 何かの詩の良いと思うことと、何かの詩を良しとする人がどういう感性・理由を持っているか理解することは、別のことだ。私の場合前者の守備範囲がどうも狭いから、後者を理詰めで広げたいと考えている。しかしここで、人間理解力──それがあったら近代小説もっと読んどるわという能力──が試されている気がしてならない。 中原中也との邂逅 私が中原中也(1907-37年)を僅かでも意識し始めたのは、入沢康夫(1931-2018年)を通してだったと思う。 ──ではもう
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