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  • マチヅ・クリエイティブ考(篠山の事例より): 日常生活の延長としてのまちづくり

    篠山は大阪に1時間、京都に1時間くらいで いける距離にあるのに、まるで桃源郷のような まちであったから、なんか、不思議だった。 東京から1時間の距離じゃ、みっともない ハウスメーカーの戸建て住宅地と 投資されていないみすぼらしい商店街と 大きな原色看板でお客を釣るような 郊外大型店がまだ存在してしまう。 地理特性だろうか。 とにかく、一定エリアがまるで秘境みたいな そんな感じ。 まぁ、驚いたのが、贅沢すぎる地域資源の宝庫。 西村幸夫先生もそりゃぶったまげるよ! 伝建地区 (普通のまちはこういう建物が1軒残っていただけで、大切にしちゃいたいけど、ここはこういうのが、そこらへんに無数に存在している) 古民家修復等に携わる地元建築家 才さんの事務所(これも昔の郵便局?を利活用したもの) (茅葺屋根の残る丸山集落 今も御住まいだったり、しっかりリノベして宿泊施設にしていたり) (丸山集落 地図だ

    ihiro0314
    ihiro0314 2010/03/04
    篠山
  • 日常生活の延長としてのまちづくり

    わたし、昔、小学生の通学路。 帰り道、男の子たちに混じって、 いつも石を蹴りとばして、帰ってきていたこと。 で、途中で見失わないように、家まで運んであげられると 当に嬉しかったんだけど、そのとき、私は この石はもしかして、お父さんなんじゃないかとか。 (お父さん、確か会社行ってるはずだけど) でも、死んだおじいちゃんかもしれないとか、 あるときは死んだ~さんかもしれないとか。 そうよくわからないけど、 「そうであるのだから、私はこの石を絶対に この通学路で見失ってはいけない、どんな草むらに彼が 行ってしまおうが、絶対に手を使わずに、そこから蹴り上げて、 恐ろしい横断歩道もわたり切って、絶対に家に連れて行くんだ。」 いつもそんな風に思って、必死に蹴って帰ったものです。 不思議と空き缶とかはデカイし、蹴っていても 家まで「お父さんだから持ち帰ろう」 みたいには思ったことはありませんでした。

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