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ブックマーク / www.shippai.org (2)

  • 失敗事例 > 航空母艦大鳳の魚雷一本の命中による沈没

    大鳳は排水量34,200トン、水線長253メートル、速力33.3ノット、飛行機搭載数53機で、日海軍が建造した最強の航空母艦と称せられていた。大鳳は1941年(昭和16年)7月、川崎重工(神戸)で起工した。建造中に緒戦以来の諸戦訓の対策が実施され、工事を極力急いで1944年(昭和19年)3月に完成した。したがって、あらゆる点で最も実戦的な不沈航空母艦と期待されていた。 1944年(昭和19年)6月19日、航空母艦大鳳は日海軍の信望を一艦に集め、第一機動艦隊の総旗艦として、初陣のマリアナ海戦(あ号作戦)に参加し、第一次攻撃隊を発進させた。その直後、大鳳に米海軍潜水艦アルバコーアの放った魚雷一が命中した。魚雷の命中によってガソリンタンクの継手が緩み、揮発油ガスが漏洩した。不運なことに、雷撃のショックで前部エレベータが故障し、この開口を塞止したため、揮発油ガスが格納庫内に充満した。数時間後

  • 失敗事例 > 御巣鷹山の日航ジャンボ機の墜落

    1985年8月12日、日航空123便羽田発大阪行B-747型機が離陸12分後、高度7,200mに達した辺りで後部圧力隔壁の破壊とそれに伴って生じた垂直尾翼構造の破壊により姿勢制御が不能となり、およそ32分間の迷走飛行の後、群馬県上野村御巣鷹山に衝突し、乗員乗客524名のうち520名が死亡する航空機の単独事故としては世界最大規模のものとなった。 事故の直接的原因は機体後部圧力隔壁の破壊であり(図2参照)、大量の高速の空気が流出し、圧力隔壁の後ろにあった集中油圧制御装置と補助エンジン(APU)を破壊し、さらに垂直尾翼のボックスビーム(尾翼に作用する曲げ・ねじり荷重を支える箱型重要構造)を破壊したために垂直尾翼構造のほとんどが失われ(油圧制御配管は4系統あるがそれを集中制御している油圧ユニットが破壊されたため)、舵面制御用の油圧も失われて制御不能に陥った結果、直ちに空中分解することはなかったも

    ihok
    ihok 2020/04/19
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