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2009年5月6日のブックマーク (8件)

  • ヨシナ*シゴト

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    人間であって、人間でないものにならなくてはならない/かっこいいけど、ほんとかな
  • ヨシナ*シゴト 天然の可能性

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    誠実は天然で、そして平らかにする他者との向き合い方
  • ヨシナ*シゴト ニュートンにはならない、学者たち

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    他者性におぬしが目覚めていないと本当に対話かどうかは分からないぞ
  • ヨシナ*シゴト 承認と了解

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    了解 完全な理解ではないけれど、大体通用するので認識を終らせること/ちょっと、ラジカルに過ぎる気もするけど、すごく判った気になる。了解した。ラジカルさらへんをさらに認識したい
  • 2009-04-30:知るということは危険をともなうこと(だから、おもしろい): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「今日のびっくりどっきりメカ発進!」でのびっくりどっきりもあって、今日はなんとなく気分が冴えませんでした。 世の中の人って、いまや予測ができないこと、計算できないことを、あんな風に厭い、恐れるものなんでしょうか。何かを知るということのリスクを極力減らそうとし、自分だけは安全で楽なところから物事を操作しようとするのでしょうか。 はっきりいって、それなら学習や勉強をする必要なんてないと思います。 「多読術/松岡正剛」というエントリーで、松岡正剛さんが〈読書はそもそもリスクを伴うものなんです。それが読書です。ですから、を読めばそのが自分を応援してくれると思いすぎないことです。背信もする。裏切りもする。負担を負わせもする。それが読書です〉と言っているのを紹介しました。リス

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    他者性。やっぱり私の思っていたことには他者性が無かったんだ http://blog.livedoor.jp/harmoniodeon/archives/51810751.html
  • アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと: DESIGN IT! w/LOVE

    これも立派な意見だと思うんですが。 さて、問題は、自分の意見がない場合だ。そういう場合も当然意見が少なくなる。自分はどちらかというとこちら側にあてはまるかもしれない。おそらく何を考えればいいのかがぶれてしまうのだ。 意見をいわなくてはいけないとか、むずかしく考えすぎてるんじゃないでしょうか? そりゃ、時が来れば自分の意見を求められる場面もあると思いますけど、アウトプットを増やさなくてはいけないのは、そんなタイミングじゃないんですね。もっと前、ずっと前の段階です。自分の意見を言わなきゃなんていう最後のタイミングのことばかり考えちゃうから間違うんですね。 むしろ、アウトプットができない人がまずやるべきなのは、相手が話しているあいだの自分のインプットを増やすことだと思います。 ようは次の3つ。 オウム返しをする質問をする相手の話の良いところをほめる ここでいう相手は、あなたに何か課題をあたえる人

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    ijustiH 2009/05/06
    相手とおなじ視点に立ったとき、相手の見方がよいなと思ったときにほめる=他者性
  • 接吻曲線論。 - 記号とか事件。

    性交とはいかんともしがたく抑圧的な構図を孕むが対して接吻はそうではなく、といった言い回しは一時代の映画批評家としての蓮實重彦が頻繁に使っていたように記憶しているが、忌野清志郎のYOUTUBEをまとめて見ていると、なんとなはなしに彼は接吻的な人だったという印象を持つ。個人的にはタイマーズがいちばん好きなのだけれど(京都大学進学に熱意を燃やしていた頃の個人史的心象風景と重複するので)、坂龍一とも篠原涼子ともあっけらかんと繰り広げているリテラルな接吻場面のはじけた解放感もさることながら、矢野顕子や井上陽水とのセッションも、性交的というよりどこか接吻的なのである。接吻とは、たしかに性交のプレリュードであったりプロローグであったり、あるいはインターコースと同時進行する性交のプロフィールであったりもするけれども、接吻それ自体はなにをも胚胎しない無為の行為であり、官能の交換はゆるやかに波をうち、直線的

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    純粋な邂逅と遭遇を信じさせるなにか
  • あー、私でよかったら答えてあげるよ - finalventの日記

    増田⇒http://anond.hatelabo.jp/20090430154116 学校にも友達いない。ゲームでも勝てないからつまらない。を読んでも理解できないから勉強もできない。ネットをしても叩かれるばかり。家族からは馬鹿にされ、他人からは見下され、自分からは疎外されている。生きるって何でしょうね。 生きるっていうのは 学校に友達がいなくても生きる、ってか、学校の外に出ろや ゲームがつまんなかったらやめる、カネの正しい使いかたはドブに捨てたカネに振り向かないこと を読んでも理解できないなら理解できるものから読む、そしてそこに留まって気の利いたエントリ書かないこと(書いてもいいけど) 勉強する、あー勉強は楽しいなと思うまでする、楽しみが見つかったら勉強ができる ネットをしても叩かれるばかり……まあ、そうだな、叩くやつがいるからな 家族からは馬鹿にされ……イエス様でもそうだった 他人か

    あー、私でよかったら答えてあげるよ - finalventの日記
    ijustiH
    ijustiH 2009/05/06
    「自分からは疎外されている」というのは、ほんとうに生きるということの本質なんだろうと思う。/そこから先は、つらい涙と感謝の人生の一本道