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2009年5月24日のブックマーク (5件)

  • 体系的な知識・技術を身につけるための学習法について - Kentaro Kuribayashi's blog

    体系的な知識や技術を身につけたいと思っています。たとえばプログラミングに関していえば、これまでたまたま興味を抱いたところをつまみいしていて、小手先の技術が少しは身についたものの、もうちょっとなにか深いことをやろうとしても、それだけではなかなか難しい。とはいえ、教育機関のようなところでやり直すわけにもいきませんし、かといって、なにかをただ作ったりしているうちにいつの間にか体系的な知識や技術が身につくというのも、そういうひともいるかもしれませんが、あまり考えられないことです。ではどうすればいいか……?と考えていたのですが、先日ちょっと思いついたので、とりあえずまずは実践してみたいと思いました。 というのはつまり、学習したいと考えている、なにかそれなりに大きな規模の分野について、自分でを書くつもりで、あるいは、こういうがあったら体系的な知識を得られるだろうなあというの目次を自分なりに書き

    体系的な知識・技術を身につけるための学習法について - Kentaro Kuribayashi's blog
    ijustiH
    ijustiH 2009/05/24
    本の目次を自分なりに書き出していって、あとはその内容を埋めるつもりで学習を行っていけば
  • ペルー料理 - おさんぽ中~渋谷ランチ ときどき旅~

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/24
    ミラフローレス
  • 科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を

    5号館さんからTBをいただいた科学批評家の話題について少々。 もっともっとたくさんの科学批評家が必要だ 『批評とはなにか』ってことを考えていたら、なんだかちょうどいくつかの記事が目に留まったのでとりあえず紹介します。、 finalventさんが小林秀雄の批評論を紹介した 批評トハ 某イースト氏が自らの批評?について語った 批評について どちらも批評を「作品」として捉えていて、むろん表現には全て作品としての側面が(科学論文ですら!)あるわけですから、それ自体は結構なことだと思います。 ただイースト氏においては対象や正確さはどうでもいい、というところまでイってしまっているようで、まあエンタメ分野においてはありなのかもしれませんが、科学や社会をあつかう際にこれではもはや批評と呼ぶに値しないでしょう。 わたしなりに批評というものを定義するなら、「対象を文脈の中に位置づけること」だと考えます。 世の

    科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を
    ijustiH
    ijustiH 2009/05/24
    科学批評にはなにが必要か?
  • 貧乏に適応するということ - 赤の女王とお茶を

    貧困までいくとまずいけれども、社会生活にカネがかからないような形の変化は必ずしも悪くないんじゃないか。 リフレ的に考えると、カネはどんどん使った方がいい。確かにその通りなのだけれど、そのために生活や人生を金銭的サービスに過度に依存させるのはいいとばかりはいえない。 生活や人生を金銭的サービスに依存するということは、カネが途切れたら生活や人生が破綻する、ということ。 であればこのやり方が回るには、将来にわたってカネに困る心配がない、という認識が大前提になる。終身雇用という幻想はココに効いてたんじゃないだろうか。 しかし、そういう幻想が崩れた以上、カネに対して防衛的になるのは避けられない。ちょっとくらい余裕があっても、生活破綻のリスクがあればため込むに決まっている。 ならば逆に、カネにそれほど依存しない、生活や人生を支える「外殻」を作ることがむしろ対策になるんではないだろうか。 家族、健康、教

    貧乏に適応するということ - 赤の女王とお茶を
    ijustiH
    ijustiH 2009/05/24
    社会生活にカネがかからないような形の変化は必ずしも悪くない
  • 日本語ということばを使う日本人: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あまりに多忙すぎて最近はブログを書くヒマがありません。 寝不足です。 各駅停車どころか遅延が発生しています。やっぱり計画が大事です。 というわけで、6/18発売予定の『デザイン思考の仕事術』のために書いた原稿から、文字数の関係でボツにしたものをエントリーの代わりに・・・。 川喜田二郎さんも書いていることですが、日人というのは頭の中だけで処理できる量の情報を相手にして、勘をはたらかせて雑然とした情報を統合的に処理するというのは得意です。だからこそ俳句や盆栽などの小さな世界に情報を圧縮してみせる文化も生まれ発達してきました。 ただ、頭の中での圧縮作業が得意だからこそ、逆に手間をかけて情報を圧縮するということが苦手だったりします。パッと見ただけでは処理しきれない量や複雑さをもっ

    ijustiH
    ijustiH 2009/05/24
    日本人というのは頭の中だけで処理できる量の情報を相手にして、勘をはたらかせて雑然とした情報を統合的に処理するというのは得意