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2009年6月27日のブックマーク (2件)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●30日の阿佐ヶ谷美術専門学校でのレクチャーの内容を具体的に詰める。今週末は、出かけたいところが何カ所かあるので、今日中に見通しくらいはたてておかないとまずいのだが、まあ、あと月曜に一日かけてがっつりやれば、なんとかなるだろうという感じにはなった。とは言え、人前で話すことにはどうしても慣れないし(別に人前じゃなくても、普通に話すことにも慣れないのだが)、特に一人で喋るのだから、詰まってしまったら誰も助けてくれないという恐怖が強くある。だいたい、上手く喋れるくらいだったら、わざわざ毎日、こんなに文章を書いているわけがないのだ。 ぼくは、自分から積極的に手を挙げて発言するような子供ではなかったし、冗談を言ってみんなを笑わせるような子供では尚更なかった。空気も読まずに我が道を行く、というほど強くもない。教室の隅っこの方で、誰も見ていないことをいいことに、勝手に好きなことをやって、一人で勝手に喜ん

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    ijustiH
    ijustiH 2009/06/27
    特に一人で喋るのだから、詰まってしまったら誰も助けてくれないという恐怖が強くある。だいたい、上手く喋れるくらいだったら、わざわざ毎日、こんなに文章を書いているわけがないのだ
  • ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性 - 内田樹の研究室

    午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。 村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。 世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。 いずれも人間にとって質的な営みである。 「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。 金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。 「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。 その基は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「えるものは何でもう」である。 村上春樹作品には「ご飯を

    ijustiH
    ijustiH 2009/06/27
    限定的な条件を受け容れ、与えられた条件でベストを尽くすようなご飯の作り手