バスルームが廃墟っぽいです。彼女はまっすぐに私を見て言う。たしかにバスタオルホルダが壊れたままだし、ペーパーホルダも片側が割れているし、罅の入った排水口のふたも交換していない。 ごめんね、なんだか、面倒で、ふだん誰も出入りしないから取り繕う動機もなくて、とこたえると、彼女は首を横に振り、終電なくなって泊まる人に取り繕う必要はないです、先輩が先輩自身のために取り繕うべきです、と言った。なんか監獄みたいです、この部屋。 私は自室を見渡して、そうかな、と思う。ものがないことはたしかだけど、不衛生ではないよ、と言う。彼女はメイクを落とした幼げな顔で、多くの監獄は清潔です、と言った。ここは殺風景です、だってなんにもないです。 この何年かで減ったんだよと私は説明する。テレビが壊れて、オーディオが壊れて、そしたら、なくても問題なくって、置いてた台もいらなくなって、本は読んだら処分するし、PCはノートだし
クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ
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