ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (4)

  • 忘れ去られた問い~男性の生きづらさを言語化してみんとす~ - メロンダウト

    男性も生きづらさを言語化しようと話題なのでさっそく言語化を試みたいのであるが、結論から言えば男性は「産めないから苦しい」のではないだろうか。 よく女性の出産に関して「産みの苦しみ」と言われたりするけれど、「産めない苦しみ」が男性にはある。 男性と女性の社会的立場や経済的状況が違うのは様々な統計から明らかになっており、それらに関しては適時修正していけば良いが、何を変えるかよりも何が変えられないかのほうが男性の生きづらさをとらえるには適当かと考えられる。 一言で言えば「問題化できるものだけが問題とは限らない」のだ。 僕達は社会的な議論をする際、何を変えるかに着目しがちである。 たとえば女性が抱える問題では受験の点数に男女で勾配をつけたり、政治家が男性ばかりであることは公平性に欠けるため、「変えるべき」だと言われる。 男性が抱える問題に関しても同様に、マチズモや家父長的な慣習は男性自身を苦しめて

    忘れ去られた問い~男性の生きづらさを言語化してみんとす~ - メロンダウト
    ikanosuke
    ikanosuke 2022/04/18
    単独では解決の見えない問題だからこそ、せめてものフィクションやラブドールや性風俗などの代替手段は、多くの男性にとって必須のものであると考えている。
  • ホロライブと非モテと正しさと愛するということ - メロンダウト

    おひさしぶりです。というか最近はいつもひさしぶりな気がしますが(笑) 時間がないというわけではないのですけどね。戦争が始まってからここに書いたことはなんだったのかと、悶々としていたりします。 あとVtuberをすこし見ていたのでそのへんの感想でもと思い、書いていきます。 今インターネットで最も大きな影響力を持っているのはYoutuberだと言われてるけどこれまであまり追ってはこなかったのですよね。何年か前に主要なYoutuberを軒並み見たことはあるのだけど好きな人は見当たらなかった。みんなキャラが強すぎるせいかあたりに近い感覚を覚えてしまったのだ。面白いのは面白いんですけどね。みんな動画を見せようとサムネイルを凝ったり字幕をつけたり過激なネタをやったりしていて、そんなYoutuberばかり見てるとサジェストされたホーム画面を見てるだけでお腹いっぱいになってしまった。何十万人も視聴者を抱

    ikanosuke
    ikanosuke 2022/03/25
    自分もホモサピの"魂"こそを気持ち悪いと感じるので、今日も物語を開いて虚構の人物を愛でます。
  • 男性性と理性について - メロンダウト

    恋愛とか男性性みたいなものってなんなんだろうね。 「セックスを求める男性は女性に引かれる、まず男性は女性にセックスを求めるのをやめろ」というけれどそんなプラトニックな関係を築ける人は稀なわけで、恋愛する動機としてセックスがあることは間違いない。よく考えてみれば付き合うという関係性はセックスの同意以上のものではないわけで、人として関係するだけならわざわざそんな儀式めいたことを言う必要はない。直接的に言うと角がたつので回りくどく外堀を埋めてから告白するのが正しいとされているものの、結局のところ恋愛とセックスは切り離せない以上男性が女性にセックスを求めるのは卵が先かニワトリが先かみたいな話でしかないわけで。人間関係が先にきてもセックスが先にきてもとどのつまりセックスするのであればそれは事前の確認作業という意味以上のことではない。 その事前性が多くの人に言い寄られる女性の側にあるため女性が語る恋愛

    男性性と理性について - メロンダウト
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/10/08
    女性は男性ほど自己の確立に性欲を含まないため、男性の『飢餓』のような欲求は理解し辛い。男性は力が強く妊娠の可能性もないため、女性の性交が『恐怖』と隣り合わせであることを理解し難い。という傾向はある気が
  • いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト

    デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること

    いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/04/05
    狂気を纏う恋愛ならば、昨今は『架空』の方が多様性に富み、リスクは低く、溺れるのに都合が良い。結婚の前段階における見定めの恋愛であれば、目を曇らせる狂気は邪魔でしか無い。
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