ikiteyukutokiのブックマーク (182)

  • 成功も栄達も努力の結晶。楽して得られるものは貧と恥のみ - 親鸞に学ぶ幸福論

    上場される見込みのない未公開株を 言葉巧みに買わされた詐欺事件の被害者の話を 知り合いから聞きました。 被害者はせっかくの退職金を騙し取られたのですから、 その苦しみはこちらの想像できるものではありませんが、 それにしても「どうしてそこで騙されるの。」と 悔しく思ってしまいます。 「うまい話に裏がある」 と危険センサーが働かねばならないと思います。 だますほうがもちろん悪いです。 とはいえ、だまされる人も、 一攫千金を夢見て、 楽して資産が増えていくという話に 身を乗り出した結果、 だまされてしまったのですから、 因果の道理がわからぬ無知が 苦しみを招いたことは否定できません。 まいた種に応じた結果しか起きません。 まかぬ種が生えたためしはありません。 たとえドカッと儲けたとしても そういうお金はすぐに消えていきます。 『ドカ儲けする人はドカ損する』と 言われるとおりです。 「あーあ、どっ

    成功も栄達も努力の結晶。楽して得られるものは貧と恥のみ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 無宗教でも、みんな何らかの信者 - 親鸞に学ぶ幸福論

    「信心」とはどんなことか、 親鸞聖人の教え、仏教を理解するのに、 極めて大事なことなので、 このたびのテーマで取り上げることにしました。 「信心」という言葉には、 ある一つのイメージがつきまといます。 "信心深い人"と聞いて想像するのは、 高齢の人ですよね。 若者にとってみれば、 無宗教を自負する人が多いので、 「信心」という言葉は 自分とは関係ないと思っているのが一般的です。 しかし、「信心」とは、字の如く、 「何かを心で信ずること」です。 神や仏を信ずるだけが信心ではありません。 一例を挙げれば、 私は美容院ではなく、床屋に行くのですが、 それは床屋だとひげをそってもらえるからです 床屋でひげをそる時は カミソリを用います。 T型カミソリでなくて、 格的なカミソリですよ。 これをのど元やあごの下にあてて、 ひげをそっていくのですが、 よく考えてみれば、 もし床屋が変な気をおこして こ

    無宗教でも、みんな何らかの信者 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 『三従の女人』で諸行無常を知らされる。何を信じれば幸せになれるだろうか【信心(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    三従の女人という言葉があります。 ▼娘時代は、父親に従い、 ▼嫁入りしたら、夫に従い、 ▼老いたら息子に従う。 常に男性に依存していなければ生きられなかった、 男性優位の封建社会の、女性のすがたを いわれたものです。 今日の日は、女社長、女性議員と 女性の社会進出が一般的なので、 あてはまらない場合も多いかもしれません。 しかし何かに支えられ、 頼りにし、信じなければ、 生きられない人間の実態という点においては、 同じことがいえると思います。 子供の時は、他の何よりも頼りにするのは、 お父さんお母さんです。 子供が最初に覚える言葉は、 「ママ」だそうです。 (これは世界共通とのこと) 最初から、「カネ」とか「学歴」という言葉は 覚えません 子供は親から見捨てられることを恐れています。 親から虐待を受けると一生の心の傷になるのは、 それだけ親を信じ、 たよりにしている裏返しでしょう。 やが

    『三従の女人』で諸行無常を知らされる。何を信じれば幸せになれるだろうか【信心(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 親鸞聖人は正信心を教えられ、信心決定一つを念じられた - 親鸞に学ぶ幸福論

    「その人がそれを信じて喜んでいるんだから、 他の人が首突っ込むものではない。」 こういう意見は人生経験豊富な常識人ほど、 主張することではないでしょうか。 信じているものをアレコレ言われるのは、 ちょうど好きになった女性の悪口を言われるようなもので、 誰しも腹が立つことです。 そういう点からいうと、 親鸞聖人という方は 人の信じていることを アレコレ言われた方です。 信心にも 「正信心、真実信心」と 「迷信、邪信、間違った信心」と 二つある、と分けられ、 それはもう徹底して、 その分別を明らかにされた方だからです。 それがあまりにもハッキリしていたので、 間違っているといわれたほうが腹を立て、 ついには越後流刑(今の新潟県)になっておられます。 しかしよく考えてみてください。 たとえば、自分の娘が年頃になって 結婚したいという男性を連れてきたとしましょう。 その男性、なんと父親である自分よ

    親鸞聖人は正信心を教えられ、信心決定一つを念じられた - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 生涯幸せであるために心に留めておきたい坂元龍馬の名言【信心(5)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    世の中は予想以上に めまぐるしく動いていて、 ビジネス書も5年前のものは 役に立たないものたくさんあります。 朝令暮改はだめ上司に言われる言葉でしたが、 今や朝令暮改の臨戦即応体制が 会社の組織には求められているそうで そんな激動の時代に 「過去、これで成功したんだ」 と堅くなった考え、発想では、 かえって自由に行動できなくなって 機を失してしまいます。 今までの自分の考えが、 身につけている鎧になって 身動きが取れない、ということが 往々にしてあります その鎧の一つと言っていいと思うのですが、 「かたよったことをしてはいけない」 「何事もバランス感覚」 という思想です。 「もっと大局にみよ、それは井の中の蛙だぞ。」 とのアドバイスなら傾聴に値しますが、 「そういう考え方もあるよね」 で全て片付けるのは、いかがなものか。 「決め付けはいけない」とか、 「かたよっちゃいけない」という人は、

    生涯幸せであるために心に留めておきたい坂元龍馬の名言【信心(5)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 仏教を学びたい人が最初に知っておきたい他宗教との決定的相違点【外道(1)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    今日、『外道(げどう)』と聞くと、 人の道を外れた冷酷な人、残虐な人、 というイメージを持たれる方があると思うのですが、 そういう意味ではありません。 もともと仏教の言葉です。 『内道』に対して『外道』と言われます。 『内道』とは、「道理の内側の教え」ということです。 道理とは因果の道理のことです。 因果の道理を根幹に説かれている仏教を『内道』といいます。 仏教の異称です。 一方、外道とは道理に外れた教え、 因果の道理から外れたことを説く教えを『外道』と言います。 因果応報、自業自得は説くけれども、 ある部分においては これは奇跡、これはタタリ、これは神の力、と例外を持ち出してくるのも やはり『外道』です。 『内道』とは言われません。 万に一つも例外なく、徹頭徹尾、因果の道理に貫かれている教えのみを 『内道』といいます。 それは仏教しかありませんから、 『仏教』=『内道』となります。 そし

    仏教を学びたい人が最初に知っておきたい他宗教との決定的相違点【外道(1)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 自分の弱さを知っている者は人生の苦しみを乗り越えようと、真実を求める【外道(2)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    人間、苦しいことが重なると、 「なんで自分だけがこんな目に合わなければならないのか」 真剣に思い詰めるようになります。 一つ二つの苦しみなら、 試練の時だ、何とか乗り越えなければ、と 冷静に対処できても、 ときに人生にはいくつもの苦しみがいっぺんにやってくることがあります。 そうなると、 「なんでオレだけが?」 「どうして私ばっかり?」 とどうしても口について出てきます。 そんなこと考えたって仕方ないよ、と 周りから言われても 当事者は考えずにおれません。 そこへきて 「あなたに不幸なことが重なるのは霊のしわざです。」 と断言されると、 「そうだったのか!」と図星のように思われて 不安になってくるのです。 普段ならそう言われても 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と のんきに、話半分に聞いておれることでも 苦しいことが重なって、 なんで私ばかり?と悶々としてきたところに 断言されると人間は弱

    自分の弱さを知っている者は人生の苦しみを乗り越えようと、真実を求める【外道(2)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 人間の本質を鋭く突いたレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉【外道(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    平成7年、オウムサリン事件が起きたあの時は テレビ報道もあのニュース一色になったのを覚えています。 あの犯罪者の顔ぶれを見ると、 京都大学とか早稲田大学とか 高学歴の面々が連なっていました。 当時よく "高学歴の、頭の良い彼らがあんなカルト宗教にどうして……" と首をかしげる人もありましたが、 何もおかしなことでもありません。 【迷信】と【知識や才能】は関係ないからです。 昨日は『溺れる者はワラをもすがる』ということわざを通して 苦しい時に人間はくだらない迷信にも振り回されてしまう、 ということをお話ししました。 ワラなんかにすがったって助かるものではない、と 普段なら重々承知ですが、 おぼれてしまうと冷静でなくなってすがってしまう。 船の設計技師でも、溺れたらワラにすがります。 船の技師ですから、毎日浮力の計算をしているような人なんです。 そんな人がワラにすがる、と聞くと 何かおかしな感

    人間の本質を鋭く突いたレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉【外道(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 人生の希望を失った地で徹底的に『生きる意味』を伝えられた親鸞【外道(4)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    平成7年、日中を震撼させたオウム事件は 何だったのでしょうか。 一言でいえば、 必死に求めても「生きる意味」を知りえぬいらだちが生み出した悲劇の一つ、 と言えるかと思います。 オウム裁判に登場した数ある元信者の一人が 中学3年生で、こんな詩を書いています。 「朝夕のラッシュアワー 時につながれた中年たち ちっぽけな金にしがみつき、ぶらさがっているだけの大人達 工場の排水が 川を汚していくように 金が人の心をよごし、大衆どもをクレージーにさす 時間においかけられて歩き回る一日がおわるとすぐ、つぎの朝。 日の出とともに 逃げ出せない、人の渦がやってくる。 救われないぜ。 これが俺たちの明日ならば逃げ出したいぜ。 金と欲だけがあるこの汚い人波の群れのなかから夜行列車にのって」 中学3年生らしい幼い文章ですが、 人生の苦を鋭敏に感じ取っていたように思われます。 満員電車、 時間に追い立てられる日

    人生の希望を失った地で徹底的に『生きる意味』を伝えられた親鸞【外道(4)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 内道と外道とは? 仏教は内道に導き、幸せに向かう教え - 親鸞に学ぶ幸福論

    『外道(げどう)』とは仏教の言葉です。 道理に外れた教え、ということです。 仏教では三世十方を貫く真理のことを『道理』といいます。 『三世』とは過去世、現在世、未来世のことで 「いつでも」ということです。 『十方』とは東西南北上下四惟のことで 「どこでも」ということです。 いつでもどこでも変わらない真理、 古今東西を通じて普遍の真理を『道理』といい、 その道理に反する教えを『外道』というのです。 一方、仏教のことを『内道』と言います。 道理の内側の教え、 いつでもどこでも変わらぬ真理そのものが 仏教に説かれているので 『内道』と称されたのです。 これにより釈迦はすべての宗教思想を 「内道」と「外道」とに峻別されました。 今日「外道」といえば、 人の道を踏み外した、倫理観の欠如した、 ひどい人物像のイメージがあるので、 「あいつは外道だ」と言われたら かなり辛辣な悪口の部類に入るかと思います

    内道と外道とは? 仏教は内道に導き、幸せに向かう教え - 親鸞に学ぶ幸福論
  • アダルトスクール(ESL)の一コマから検証。メキシコ人も日本人もみな同じ姿をしている - 親鸞に学ぶ幸福論

    当時はまだ20代でしたが、 アメリカに住み始めた時、 この際、英語が喋れるようになろうと思い立った私は、 アダルトスクールに行きました。 アダルトスクールとは カリフォルニア州が移民の英語教育のために設置した、 大人向けの学校のことです 近所にある小学校が、 夜7時からはアダルトスクールとなっていたので、 無料だった事もあって 毎週2回通うことにしました。 私一人日人で、 あとはみんなメキシコ人でした。 教師はボランティアと思われる、白人のおばさんでしたが、 冗談も早口の英語で、 こちらは聞き取れないことが多いのですが、 周りのメキシコ人は笑いますし、 英語で教師と会話できていますし、 どうも私がもっともできないようだ、と 最初の授業で現状を把握しました。 ところが筆記テストになると、 立場が逆転しました。 私は文法や単語はほとんど全て書けて、 クラスで一番優秀でした 喋れないし、聞き取

    アダルトスクール(ESL)の一コマから検証。メキシコ人も日本人もみな同じ姿をしている - 親鸞に学ぶ幸福論
  • お釈迦様の出家の動機は、全ての人が持っている人生への問いかけ【四門出遊】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    カピラ城に太子として生まれられたお釈迦様が 出家される動機になったエピソードに 『四門出遊』という話があります。 ーーーーーーーー 太子が東の門を出ると、 活気づいた町並みが広がっている。 町を見渡していたとき、 太子の目にとまったのが老人であった。 その時、太子は思った。 「哀れな・・・ 老いるということは、 腰が曲がり、 歯は抜け、 歩くこともままならず、 邪魔者扱いされてしまう 自由に飛び回りたいのに、 老いた身体という牢獄に閉じ込められ、 自由を奪われている。 今、若きを楽しむ私にも 必ず年老いる未来が来る。 私は衰える体を持ち、 苦しみ生きていかねばならぬのか」 ーーーーーーーーーー 釈尊はこの老苦を超える道は人生にないのか、 悩まれるようになります。 ■今日でも 「アンチエイジング」といい、 書店には美肌を保つマッサージ法を 紹介するが並びます。 せっせとエステに通い、 スポ

    お釈迦様の出家の動機は、全ての人が持っている人生への問いかけ【四門出遊】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 命を切り売りしてあなたは何を手に入れようとするのか【一生参学の大事(1)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    この有限の人生で あなたは何のために 何を手に入れようとしているのでしょうか。 A・ミラーの『セールスマンの死』は、 もう60年前に書かれたものですが、 考えさせられる作品です。 ウイリーはセールスマンで、 日々忙しく働いていますが 住宅ローンや、日用品の買い直しで生活は手一杯です。 寄る年波には勝てず、 じょじょに業績が落ち、 給料も評価も下がってゆきます。 あるとき、にこんなことをもらしました。 「考えてみるとだよ、 一生働きつづけてこの家の支払いをすませ、 やっと自分のものになると、 誰も住む者はいないんだな」 ボロボロになるまで働いたあげく、 ウイリーは苦難に満ちた生涯を自ら絶ちます。 保険金でローンはなんとか返済されましたが、 人はこの世にいませんでした。 ウイリーが何を販売していたか、 作品では明かされていません。 売っていたのは「命」だからです。 私の「命」とは、私に与え

    命を切り売りしてあなたは何を手に入れようとするのか【一生参学の大事(1)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年の言葉に生きる意味を考えさせられる【一生参学の大事(2)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    死を前にして沈になったレオナルド・ダ・ヴィンチに 「先生には数々の素晴らしい業績や芸術作品があるでは ないですか。」と弟子が励ましました。 その時、彼は 「今死んでいく自分にとって、そんなものが何になる。」と 首を横に振りました。 「それでも、先生の教えられたことは私達の心の中に くっきりと焼き付いて生き続けます。」と弟子が言うと 「そういうお前たちも死んでゆく…。」と力なく言ったそうです。 「後世に意義のある何かの功績を残す。」 「生きた証をこの世に残しておく。」 それが人生の目的だという人は多いですが、 そういえましょうか。 スカイツリーとて、千年たったらどうなってますでしょうか。 金メダルを取ったといっても、千年たったらその功績は 人々の記憶に残っているでしょうか。 たとえ千年残り続ける功績があったとしても、地球規模の歴史を語れば 千年といっても、ほんの瞬きの間になってしまいます。

    レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年の言葉に生きる意味を考えさせられる【一生参学の大事(2)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • なぜ日本人は桜が好きなのか - 親鸞に学ぶ幸福論

    ロサンゼルスにいた時、よく車で走り抜けた、 ガーデナー市のノルマンディー通りは ジャガランダ並木で有名です。 ジャガランダって日ではちょっと見たことないのですが、 桜に似た木で、桜に似た花を木々いっぱいにつけます。 桜と何が違うかといいますと、色が鮮やかなパープルなんです。 目がちかちかするほどです。 満開のジャガランダ並木はそれは見事なもので、 カリフォルニアの青い空とのコントラストが素敵です。 初めてそれを見たときは圧巻でした。 日の桜は負けたな、と思ったもんです。 ところがそのジャガランダ、何ヶ月もずっと咲いている。 最初こそきれいだと思ったものの、 見慣れてしまうと、何の感慨もなくなりました。 ■その時、 【なぜ日人はあんなにも桜を愛でるのか】 なぞが解けたのです。 「桜は散るから、なのだ」と。 『3日見ぬ間の桜かな』 桜が満開なのは、ほんの1日です。 もう明日には散っている

    なぜ日本人は桜が好きなのか - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 『So Close』の歌詞に共感…。こんなに近いのに、愛しているのに、寂しい【独生独死独去独来(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論

    私はどちらかというと恋愛映画は 洋画より邦画のほうが好きです。 ▼好きな人に好きと言えないもどかしさ ▼不器用で言葉足らずですれ違う ▼じっと自分の心に秘めたまま、何10年。 そういう切なさに共感します。 アメリカ映画って、 愛の告白は早いし、 すぐ一線を越えるし、 何かと言葉で確かめ合うし、 なにしろ直情的過ぎて(笑) 韓国恋愛映画も 国民性が近いんでしょうか 日映画と同じ情緒を感じますね。 とはいえ、アメリカにも 80年代ヒット曲『So Close』は、 『こんなに近いのに何て離れているんだ。 『こんなに近いのに何て離れているんだ。』 と繰り返す歌がありまして 恋愛に煩い悩む情は やはり万国共通のようですね。 以下は『So Close』の歌詞です。 ======= 「愛しているのに、男には分からない。 どうして彼女が寂しそうに、 指輪に視線を落とすのか。 長く影の差すクラブに席

    『So Close』の歌詞に共感…。こんなに近いのに、愛しているのに、寂しい【独生独死独去独来(3)】 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • これ一つを知ると、夫婦円満になっていく - 親鸞に学ぶ幸福論

    【底知れないほどさびしいところが人生である】 と釈迦は説かれました。 そして、それは『孤独』だからだ、 と続きます。 『独生 独死 独去 独来』 生まれてきたのも独り、死んでいくのも独り どこからか独りで来て、どこかへ独りで去っていく お互い分かり合えない魂を抱えて孤独に震えている。 それは同じ屋根の下に住む夫婦でも同じです。 この人は自分のことわかってくれる人だ、と思って結婚します。 全てわかってくれる、とまでは言わないものの、 分かり合える部分が多い、共感し合える、 重なっているところが多い、そういう人だと思います。 ところが共に生活してしばらくすると、 実はあまりわかっていなかったんだなあ、とわかってくる。 わかってくれない人なんだ、と知らされてきます。 さらに数年もたつと 「あの人と私は全然違うわ。あの人は宇宙人みたい。」と思う。 いや、最初からそうだったのですが、 好きになった時

    これ一つを知ると、夫婦円満になっていく - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 釈迦の『天上天下 唯我独尊』は「人間に生まれて良かった!」という喜びいっぱいの宣言 - 親鸞に学ぶ幸福論

    「人命は地球より重い。」 「人間は生まれながらにしておかしがたい尊厳を有している」 といわれますが、 では人命の重さの根拠を問われたら あなたならどう答えられるでしょうか。 お釈迦様は 「天上天下唯我独尊」 「人身受け難し 今已に受く」 (人間に生まれてよかった、なんと人間に生まれるのは素晴らしいことなのか) という尊厳さを明らかにされました。 その仏教をこのメルマガではお話ししております。 今日も一つの話を切り口にお話しします。 2012年、将棋界に激震が走りました。 AI将棋ソフト「ボンクラーズ」が、 元名人・米長邦雄永世棋聖を破ったのです。 あらかじめ「定跡」が打ち込まれた過去のソフトとは違い、 ボンクラーズは5万局の棋譜を教科書として 「人間が指しそうな手」を自ら学習する「機械学習」によって、 プロ棋士並みの強さを手に入れたのです。 対局は、序盤からコンピューターの弱点を突く秘策を

    釈迦の『天上天下 唯我独尊』は「人間に生まれて良かった!」という喜びいっぱいの宣言 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 寂しいと自殺したくなる。自殺を解決するには… - 親鸞に学ぶ幸福論

    水商売の女性の自殺が一番多いのは年末、年始だ、 という記事を読んだ事があります。 普段は家庭を省みない男たちも、 正月には家族の元に戻っていく。 その寂しさと裏切りに耐えられないのでしょう。 その昔、法然上人が土佐に向かわれる途中、 船中である遊女が、 仏教を聞きたいとお願いした という記録があります。 人に言えないようなつらいことが多かったその遊女は 「何のために生まれてきたのか」 「なぜこんなに苦しいのに生きねばならないのか」 法然上人に積年の己の思いを吐露したのでした。 70を越えられた上人でしたが、 疲れを省りみられずに 彼女の悩みと真剣に向き合い 切々と仏法を説かれました。 遊女は、自分にも尊い生きる意味があることを知らされ、 「あの時、自殺しなくてよかった・・」 と感涙にむせんだ、とあります。 数年前、現職の金融担当大臣の自殺が報道されました。 愛人との関係が週刊誌で暴露される

    寂しいと自殺したくなる。自殺を解決するには… - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 忘れられないセイコーのCM - 親鸞に学ぶ幸福論

    仏教に教えられる善根に『言辞施』があります。 数ある「親切」の一つとして説かれているのですが、 言葉を施す、という意味です。 一言が、人を失意から励まし、 立ち上がらせることもありますし、 逆に、『語殺』というのですが、 心無い一言が相手を殺すこともあります。 「私に向けられたあの一言だけはもう何年たっても忘れられない」 というのもよく聞きます。 【舌三寸が身を活かしもし、殺しもする】 以前、時計会社「セイコー」のCMでの詩が 心に残っています。 「“はじめまして” この一秒ほどの短い言葉に、 一生のときめきを感じることがある。 “ありがとう” この一秒ほどの言葉に、 人のやさしさを知ることがある。 “がんばって” この一秒ほどの言葉で、 勇気がよみがえってくることがある。 “おめでとう” この一秒ほどの言葉で、 しあわせにあふれることがある。 “ごめんなさい” この一秒ほどの言葉に、 人

    忘れられないセイコーのCM - 親鸞に学ぶ幸福論