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ブックマーク / yonezawakoji.com (1)

  • 稲永遊郭(名古屋市港区)|遊郭・赤線跡をゆく|

    稲永遊郭の歴史名古屋には、明治前にもいくつか遊里があったのですが、その一つに熱田遊郭がありました。名前のとおり、熱田神宮近くにあった遊里です。 こちらは文明開化以前からあった古い色街でしたが、明治時代に入り移転の話が持ち上がりました。 明治42年3月、愛知県は という布告を発します。街の真ん中、それも熱田神宮という聖域の横に遊里があるなんてけしからんというのがその建前です。江戸時代まではおおっぴらに営業できたのに、明治政府になってからダメになったのは、神道を穢れのない「国家神道」として神聖視化した政治的な処理の一端かと思ったりします。 そのまますんなり移転すれば良かったのですが、人間欲というものが絡むとどす黒い疑獄に発展します。 稲永の大地主である第十六銀行頭取渡辺某は、この移転をきっかけに一儲けを企みます。当時の愛知県知事や名古屋市長に、遊郭の移転が決まれば計画地や周囲の土地を格安で売り

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