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セルクマと鉄道に関するim45-50sのブックマーク (3)

  • 編成写真の意義とその限界

    223系もE231系も結構好き、だけどカメラを向ける気はなぜか起こらない45-50sです。こんばんは。 今日の話題はコレの続編みたいなものです。虚無感を覚悟の上でどーぞ。 あーあ、またも「続きを読む」を押しちゃいましたね。虚無感にさいなまれますよ(嘘 さて。 鉄道写真の趨勢は大きく分けて、形式写真、編成写真、それ以外の写真に分けられます(当に大まかですが)。 形式写真や編成写真はふつう被写体となる車両自体の(ファンにとっての)価値を中心に据えていますから、これから日中に溢れるであろう新型車両よりは旧型車両が文字通り珍重されます。 加えて、これらの写真には一種の完成型があります。「編成の側面と前面の写る比率は7:3が良い」「晴天の屋外のシャッタースピードと露出は1/500とF5.6を基に」というような規則が、写真の出来を左右します。 ただし、形式写真というのは一般に記録の意味合いが強い

    編成写真の意義とその限界
  • いわゆるぼやき

    この前の世田谷線の写真は、容量節約のため拡大サイズの写真を公開終了しました。枚数が少ないので今回はニコンオンラインアルバムには移していません。 _________________________________ 近々撮影に行こうと思って、北海道の路線図を眺めていて思った話。 が、あまりに虚しいんで続きは読まないほうがいいかも(笑 あーあ、「続きを読む」を押しちゃいましたね。虚無感にさいなまれますよ(嘘 さて。 「鉄道車両のファンに対するアピール度は、希少性と車齢に正比例する」 これは、自分が鉄道撮影を続けていてずっと疑いながら信じていたことです。例えば復活蒸機の絶えない人気はこのことを如実に表していますし、それを挙げるまでもなく電機、電車、気動車、どの分類においても古くて珍しい車両が人気を集め、いよいよ引退ともなれば、カメラの砲列がその車両の行く先々を追いかけます。 かく言う自分も、JR

    いわゆるぼやき
  • 撮り鉄の価値観の流動性

    この一週間、ghostさんとブログのコメント欄でやり取りさせていただいているのですが、撮り鉄の話題に移って文章が少し長めになってしまったので、こちらに書いてトラックバックすることにしました。 > 上から規律をフレームして解決できる問題でもないので、撮り鉄内部での価値観の流動性を保障しておくことが自ずから対策になると思います という自分が書いた部分についてもう少し展開してほしいとの事ですので、これについて少し書きます。 この部分がどういう文脈で書かれたかは元のコメント欄をご覧ください。またこの話題についてはこちらの記事なども参照していただければと思います。 で。 前段の"上から規律をフレームして解決できる問題でもない"というのは、規律をフレームすること自体がまず現実的に無理だというのと、もし可能だとしてもデメリットが大き過ぎるということです。 第一に、誰かが何らかの規律を書き上げたとしても、

    撮り鉄の価値観の流動性
    im45-50s
    im45-50s 2010/08/09
    id:as365n2 どちらかというと逆です。その比喩に乗るなら、みんな食わず嫌いはやめて何でも食べてみるといいよ、というのが主旨です。>棲み分け
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