私たちをおびやかす『苦海浄土』 石牟礼道子さんを失って Text by 松浦茂長 (Shigenaga Matsuura) 石牟礼道子さんが亡くなった。池澤夏樹氏が世界文学全集30巻を編集したとき、ただ一人の日本人作家として石牟礼を選んだ。『苦海浄土』は、20世紀後半の文学のおそらく頂点をなす作品だろう。今の僕にはその深遠な思想を読み解く用意がない。 10年以上前、妻の長患いの最中に、自分自身のために書いたメモのようなものを、オマージュのかわりとするのをお許しいただきたい。 『苦海浄土』には聖書のヨブ記を思わせる場面があります。6歳のとき水俣病にかかり、目も見えず、動くこともできず、知能の失われた少女が、おしめをあてた17歳の美しい娘になった。マスコミが「ミルクのみ人形」と名づけた少女ゆりの母が、不条理に抗議します。 「とうちゃん、ゆりは、とかげの子のごたる手つきしとるばい。死んで干あがっ