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細野晴臣に関するimi70のブックマーク (2)

  • 細野晴臣 ソロ活動40周年インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

    細野晴臣が、最新アルバム「Heavenly Music」を発売した。ボブ・ディランやフランク&ナンシー・シナトラ、CARPENTERSらが生み出してきたスタンダードの数々のカバーを収めたこの作品は、アレンジ、ボーカル、ミックスに至るまで自身が手がけ、その独自の視座で名曲群に新たな魅力を与えている。そして細野は今年、ソロ活動40周年を迎えた。これを記念してナタリーでは細野のロングインタビューを公開。ロック、フォーク、ワールドミュージック、アンビエント、スタンダード……と縦横無尽に音楽を作り続けてきた氏に、“ソロワーク”をテーマに40年を振り返ってもらった。 取材・文 / 加藤一陽 インタビュー撮影 / 八島崇 1969年9月10日 「エイプリル・フール」 / エイプリル・フール 1970年8月5日 「はっぴいえんど」 / はっぴいえんど 1971年11月1日 「風街ろまん」 / はっぴいえん

    細野晴臣 ソロ活動40周年インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
  • 細野晴臣はジミヘンの「ファイアー」と「紫の煙」を完コピして松本隆のオーデションに臨んだ

    1968年の春、細野晴臣は原宿駅前にあるビルの喫茶店に座っていた。 どこで細野の噂を聞いたのだろうか、突然の電話で呼び出されたのは前日のことだ。 「慶応の松という者ですが、ちょっとお話したいことがあるので、明日原宿まで出てきてもらえませんか?」 「あ、なんですか?」 「いや、ちょっとバンドの件で」 細野は立教大学の2年生で20歳、同窓の友達がやっていたビートルズのコピー・バンド、ドクターズから頼まれて助っ人として参加し、それまで担当したことのないベースを弾き始めて間もない頃である。 同じ時期に細野は学生たちが企画していたコンサート、「PEEP」という演奏会を通じて鈴木茂や林立夫、小原礼、浜口茂外也といったスゴ腕の高校生や大学生のミュージシャンとも知り合いになっていた。 その辺りから細野のことを知ったのだろうかとも思ったが、松という名前に心あたりはなかった。 約束の時間に店に入ってきたの

    細野晴臣はジミヘンの「ファイアー」と「紫の煙」を完コピして松本隆のオーデションに臨んだ
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