自宅に画集を置く「距離」を問われると、外にあるから外注できると回答する 地方からも美術館に行けると問われると、東京ならすぐ美術館にいけると「距離」を盾にする 家にピアノが置けないという選択肢の「量」の少なさを問われると、キーボードなら持てると「質」で回答する 自宅に絵が飾れる(絵に触れる機会の多さ)という「質」を問われると、また外注に戻り「量」で回答する 「質」と書いてしまったけど「深さ」でもいいかもね ペットショップや猫カフェがあれば「ペットの外注」ができるかもしれないけど、実際に猫を飼わないと得られないものがある この実際に「自分の手元における」という豊かさは、1つのモノに対する造詣を深めるからね 美術館一つとっても行った回数や頻度を問題にするのではなく、 美術館の数を話題の中心に持ってくるのも「深さ」の話を「量」や「距離」に置き換えてるんだよね 行った回数や頻度という「深さ」なら地方