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  • 身内との争い【呉座 勇一】

    『公研』2021年11月号「めいん・すとりいと」 今月、拙著『頼朝と義時』(講談社)が刊行される。執筆にあたって、源頼朝の政治的軌跡を改めて検討して気づかされたことは、頼朝は必ずしも平家滅亡にこだわっていなかったという事実である。 周知のように、頼朝の父である源義朝は平治の乱で平清盛に敗れて亡くなった。頼朝は罪人として伊豆に流された。現代の常識では、頼朝にとって平家は父の仇であり、滅ぼすことを心に誓っていたように感じられる。けれども、現実は異なる。 伊豆での挙兵から一年後、頼朝は後白河法皇に密使を送った。頼朝の言い分は以下のようなものである。挙兵は朝廷に対する謀反ではなく、後白河院を軽んじる平家を討つためである。(清盛の病死によって)後白河と平家が和解したのであれば、平家打倒には固執しない。かつてのように源平両氏が朝廷に仕え、東国を源氏が、西国を平家が支配すれば、内乱を鎮圧できるだろう、と

    身内との争い【呉座 勇一】
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    in_factor 2021/12/05
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