江戸時代は、毎年農民による暴動があり、全部で1500回くらいの農民一揆があったとする日本の歴史家は多い。しかし、実態は、村の代表者や近郷のいくつかの村の代表者たちが一緒に大名屋敷へ参上し、年貢の軽減を願い出、それに対して大名側もその理由を斟酌してきた、きわめて共同体的な営みが「農民一揆」に数えられていた。 このような事実が捻じ曲げられてきた理由は、近代観念に侵された日本の歴史家にある。それは、近代観念の先生であるヨーロッパ人から、日本人は革命を起こしたことが無いと言って非難されたく無かったからである。なぜならば、ヨーロッパ人にとって、ある国で革命が無かったということは、その国の民は後進的であることを意味するからだ。 ところが、日本の長い歴史の中に、革命があったことを示す記述を見出すことが出来なかった。このままでは、日本人には救い難い欠陥があると見なされる。そこで日本の多くの歴史家は、古い史