被災者救援活動の諸問題とロシアの現状 アラ・ヤロシンスカヤ ヤロシンスカヤ・チャリティ基金(ロシア) 政府による被災者援助 ソ連時代 1996年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所で史上最悪の原発事故が起こったとき,ソ連には,数100基に上る研究用原子炉のほか,核兵器や軍事産業の原子炉が文字通り全土に散らばっていた.それにもかかわらず,ソ連には,起こりうる原発事故の犠牲を防ぐための法律が1つもなかった.それがソ連の現実であった.チェルノブイリ原発事故が起こったとき,ソ連政府は被災者,たとえば原発職員,事故処理作業者,被災住民を救済するためのいかなる法律も持っていなかった.事故から5年間,ソ連最高会議は被災住民を保護し,彼らに特典や補償を与えるためのいかなる立法処置もとらなかった.どうしてこのような事態が許されたのであろうか? 共産党支配のもとのソ連では,被災住民の数はもちろん,事故による