先日、ずっとかかりっきりだった原稿に一段落ついたので、一人で”小津トリエンナーレ”を開催した。”小津トリエンナーレ”とは三年に一回(くらいの割合で)、家にある小津安二郎の映画DVDを数日かけて観直すことである。『晩春』(1949)以降の作品のうちの10本だけだけど。 小津作品の批評や研究も多い中、以下のような指摘も既にあるかと思うが、自分的に発見だったので書いておく。 いつも思うのが、原節子という女優の特異さだ。 周囲の人物はその役柄に嵌りその役柄を生きている人に見えるのに、原節子だけはいつも少しだけ浮いている。まったくもって生臭み、俗世間臭さがないのは、日本人離れした骨格や目鼻立ち、あの発声と言葉遣い、服装(『東京物語』に顕著だが、白いブラウスと長めのスカートという超シンプルなスタイルが想像させる潔癖さ)のせいもあるが、それだけではない感じ。周囲の人々の中で、彼女だけ何か特殊な、この世の