オートポイエーシスに関するinfoblogaのブックマーク (6)

  • オートポイエーシスの階層性と閉鎖性 : 情報学ブログ

    この記事では、オートポイエーシスの階層性と閉鎖性は矛盾しないという、基的だが、全くと言って良いほど誤解されている考え方について説明します。これは、社会システムの構造を理解する上で重要なのはもちろん、社会システムの構成素をコミュニケーションとする理由を始め、さまざまな問題とかかわる非常に重要な論点です。 ○目次 (1) 階層性と閉鎖性の問題 (2) マトゥラーナとヴァレラにおける作動と構成素 (3) コミュニケーション・システムにおける作動と構成素 (4) 社会システムの構成素はなぜコミュニケーションなのか ///// (1) 階層性と閉鎖性の問題 オートポイエーシスでは、一つ一つの作動が世界全体とかかわるような形で存在しているのであり、システムそのものも、物理的には世界全体を占めるものとしてとらえられます。そして、だからこそ、システムは常に閉じているのです。(*1) システムが閉じている

  • サイバネティクスとオートポイエーシス―コンピュータは生命の領域にどこまで踏み込めるのか? : 情報学ブログ

    コンピュータやネットワークどういう意味で生命と同じで、どういう意味で違うのしょうか。このことは、人工知能の実現可能性ともかかわる重要な問題であり、情報技術にかかわる多くの人が興味を持つところではないかと思います。今回の記事では、サイバネティクスを起源として生まれてきたシステム論である「オートポイエーシス理論」を手がかりして、このことについて考えてみたいと思います。 ○目次 (1) オートポイエーシスと文脈 (2) 作動としてのコンピュータ (3) システムの相互作用と環境概念 (4) サイバネティクスとオートポイエーシス (5) オートポイエーシスにおける情報概念 (6) コンピュータは生命になれるのか ///// (1) オートポイエーシスと文脈 オートポイエーシスについては、前回の記事で基的な説明をさせてもらいましたので(*1)、詳しくは元の記事を参照してほしいのですが、いくつか重要

  • オートポイエーシスと時間 : 情報学ブログ

    この記事は、オートポイエーシスの基的な考え方について解説すると同時に、オートポイエーシスにおける時間概念について論じるものです。 大きく言うと、二つの読み方ができると思います。 一つは、オートポイエーシスについて全く知らない方が読む入門的な記事としてです。一般的な説明とは、説明の順番を大きく変えていて、分かりやすいものになっているのではないかと思います。 もう一つは、オートポイエーシスについての議論の整理としてです。特に、この記事は、オートポイエーシスにおける時間概念について整理するものであり、マトゥラーナ&ヴァレラやルーマンの議論と、河英夫氏の議論の関係についてもある程度分かるようになっています。また、最後の節では、システム論と情報学の関係について簡単に触れています。オートポイエーシスについて学んだけど「何となくしっくりこない」という方にも読んでいただけると幸いです。 ○目次 (1)

  • 大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学

    はたのしんすけ先生のご教示を請う。 http://kyoto-edu.bne.jp/~althusser/blog/index.php?no=r188 みっともないのは−補足を兼ねて [‥] たとえていえば、構築主義に対するエスノメソドロジーの「ゲリマンダリング」批判のようなもの、ってかえってわかりづらいか。その批判は*その*立場からすれば確かに当たっているのだが、批判された側からすれば「so what?」というしかない、という一方向性。それでも批判者はそこしかよりどころがないのだから、どうしても「片思い」になる。 [‥] [188] はたの (2006/09/07(Thu) 00:48:49) (´ι_` )..... その、エスノメソドロジストによるOG批判(なるもの*)の場合、「そこ」ってのはどこですか? * 具体的には、誰による-誰に対する 批判のことを指しているのでしょう? 氏に

    大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学
    infobloga
    infobloga 2007/03/15
    本題はほうっておいて細部で批判しているような…。問題関心を共有してない人が読んでも理解できないような書き方をする大黒さんもどうかと思いますがね。/詳しくは後ほどTB付けます
  • 情報学ブログ

    情報学ブログの新着記事 世界の情報量は求められるのか? ( 2011/02/19 ) シャノンの情報量の定義にしたがえば、物体のそのものの情報量を求めることはできません。「世界の情報量」は決められないのです。しかし、それでも、情報量を求めることができるように思えるのはなぜなのでしょうか。 ・・・(続きを読む) WEBRONZAのホメオパシー騒動とメディアの問題 ( 2011/02/11 ) WEBRONZAのホメオパシーについての記事の編集方針がTwitterで話題になっています。この問題は、ネット時代にマスメディアがどういう役割を果たすべきかということを考える上で、非常に重要な問題提起を含んでいるのではないかと思います。 ・・・(続きを読む) クリスマスという記号 ( 2010/12/24 ) クリスマスソングが聞こえてくると、不思議な気持ちになります。世界中の人が、《クリスマス》という

  • 生きる意味について : 情報学ブログ

    「何のために生きているんだろう」「生きる意味なんてないんじゃないか」そんなふうに考えたことがある人はいないでしょうか?苦しいときときや悩んでいるとき、私たちはいつの間にか、そうやって考えてしまうものです。でも、「生きる意味」って、そんな簡単に見つけられるものではありません。しかし、生きる意味っていったい何なのでしょうか。 結論を先に言えば、「生きる意味」などどこにもありません。なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが「生きること」であり、生きることに意味を与えるものはないからです。世界のあらゆるものには意味がありますが、「生きること」には意味がありません。私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、かけがえのない、素晴らしいことなのです。 たしかにそれぞれ生きていく中で、「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。しかし、それは決して当の生きる意

  • 1