主体に関するinfoblogaのブックマーク (3)

  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

  • 物語ること、選ぶということ―物語としての私、歴史、そして政治 : 情報学ブログ

    現代の政治は選択をしていないと良く言われます。しかし、政治はむしろ選択することから疎外されているのではないでしょうか。そして、実は私たち一人一人も、自分の人生の中で選択することから疎外され、どうすることもできずに生きているように思えます。では、そもそも「選択する」とはいったいどういうことなのでしょうか。物語としての私、そして歴史ということを出発点に、このことについて考えていきたいと思います。 1. 意識されない〈私〉 人間は自分の感覚や経験についてごくわずかしか知ることができません。たとえば、この文章を読んでいる皆さんは、紙に触れる手の感覚について意識することができます。椅子を圧迫する背中の感覚を意識することができます。また、襟の周りの服の感覚を意識することができます。ところが、あなたは、たった今、そのことを指摘されるまで、その感覚に気づいていなかったのではないでしょうか。私たちの感覚や経

  • 生きる意味について : 情報学ブログ

    「何のために生きているんだろう」「生きる意味なんてないんじゃないか」そんなふうに考えたことがある人はいないでしょうか?苦しいときときや悩んでいるとき、私たちはいつの間にか、そうやって考えてしまうものです。でも、「生きる意味」って、そんな簡単に見つけられるものではありません。しかし、生きる意味っていったい何なのでしょうか。 結論を先に言えば、「生きる意味」などどこにもありません。なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが「生きること」であり、生きることに意味を与えるものはないからです。世界のあらゆるものには意味がありますが、「生きること」には意味がありません。私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、かけがえのない、素晴らしいことなのです。 たしかにそれぞれ生きていく中で、「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。しかし、それは決して当の生きる意

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