そんなこんなで、漫画家アシ、キャバ嬢、OL、などの職業を経てきた私であるが、まだこちらで一度も触れてないものがあった。プラネタリウムのお姉さんである。のん...そんなこんなで、漫画家アシ、キャバ嬢、OL、などの職業を経てきた私であるが、 まだこちらで一度も触れてないものがあった。 プラネタリウムのお姉さんである。 のんびりした職場で、定年退職した学校の先生や 市役所の職員で構成されていた。 近所のじいさん、ばあさんが遊びに来ると、 仕事を中断してみんなでお茶といった具合に、 穏やか・・・
当時大学4年生だった私は、Kプロで毎日漫画の背景を描く仕事に追われていた。その頃K先生は週刊連載2本と月刊の連載を数本抱えていて、先生が激務なのはもちろん...当時大学4年生だった私は、Kプロで毎日漫画の背景を描く仕事に追われていた。 その頃K先生は週刊連載2本と月刊の連載を数本抱えていて、 先生が激務なのはもちろん、そのアシスタントも激務だった。 私は、その頃2度目の自動車教習所へ通っていて (教習所は期限が1年なので、期限が切れたら払い込んだ教習代もパァ) 既に一度期限が切れて通い直している状態だったにもかかわらず、 またしても期限が迫っていた。 その上、大学では今のままでは単位が足らず、卒論も提出しなければならない。 留年の瀬戸際だったので授業を休むわけにはいかず、 朝まで仕事をして、風呂も入らずそのまま大学へ行くことも珍しくなかった。 それだけでもキャパを越えていたが、その頃の
最近よく、なぜブログをはじめたのか?と聞かれることが多いので今回はブログをはじめたきっかけについて、ちょっとお話したいと思います。「東京都北区赤羽」の作者...最近よく、なぜブログをはじめたのか?と聞かれることが多いので 今回はブログをはじめたきっかけについて、ちょっとお話したいと思います。 「東京都北区赤羽」の作者、清野とおる氏。 清野氏は数年前に弟を通じて知り合って以来、数カ月に1度のペースで私、弟、清野氏の3人で集まり、お酒を飲みながらそれぞれの近況などを報告しあう関係、要するに飲み友だ。 初めて清野氏と会った日のこと。 その日、待ち合わせに来るハズの弟が仕事で30分ほど遅れ、早めに到着した私はホームレスのおじさんに絡まれていた。 おじさんは「人徳が大事」と、何度も何度も「人徳」という単語を繰り返していた。おじさんがホームレスの道を歩むことになった理由と人徳に深い関わりがあるのか
過去の面白かったこと ついったhttps://twitter.com/#!/kitsukom今から8年前、実家の父親から突然電話がかかってきた めったに電話をかけてこない父からの電話に、私は何となく状況を察し と言った 父は最初 電話の向こうで黙っていたけれど、私の直球の問いかけに 「うん」とだけ答えた。 でもその「うん」の中に父の色んな思いが詰まってる気がしてそれ以上何も言えなかった。 3年くらい前から、父の会社の経営状態があまり良ろしくない話は聞いていたので、倒産は覚悟していたけれど、自分が生まれ育った家が無くなることに対しては全くリアリティが湧かなかったので、生まれ育った家に「もう二度と帰れない」事に対して すごく不思議な気持ちになった 実家は売りに出され、それと共に両親の住む場所がなくなるので 兄弟でお金を出し合い援助したがそれでも足りなかったので、私は両親に内緒でキャバ
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