ブックマーク / amnjrn.hatenablog.com (12)

  • 「それがあなたです」が褒め言葉であること。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    どんな人間関係でも,後から嫌いになることはよくある。 しかし最初から相手の欠点ばかりを見ているのではなく,むしろニュートラルな状態,もしくは好ましく思っている状態から,だいたいの人間関係は始まるのではないか。 そして人間は完璧ではないので,いいときばかりではなく,失望させ合う。 その連続の先に,「好きなままでいさせてくれない人」を嫌いになっているのだ。 許せなかったある人のことを話したとき,友人は私に共感するでもなく,「(その相手は)普通の人だったんだね」と一言残した。 何が「普通」かは今でもよく分からない。ただし私はいつも「相手が自分ほど頑張っていないこと」に怒っていた。 男女,年上年下に関わらず,自分より頑張ってる人は絶対にいる。その中で,「自分より頑張ってない人」に時間を割く意味が分からなくなり,「好きなままでいられなくなる」ことはある。 年をいくつ取っても思うのは,同じ山を一緒に登

    「それがあなたです」が褒め言葉であること。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2018/06/12
    よかった
  • 誰を助けることもできないけれど。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    深刻な悩みであればあるほど,人に話せないし解決してくれる人なんて少ない。 私が誰を助けることもできないのと同様に,誰も私を助けることはできない。 そんなことをずっと思ってきた。 先々週ふと気づいたのは,誰も直接的に私を助けることはできないけれど,悩みや苦境から脱したときに,周りに人がいる(いた)ことに気づくだけなんだな,ということ。そのときに,思い出したように感謝してみたりする。 誰かに影響を及ぼされるというより,誰かに対して自分がどうリアクションを取るか次第。 感情って独り相撲だな。 だから気分次第で,あんなにありがたかった誰かのありがたみが薄れたり,妙に嬉しがったりもする。今すぐ誰かの力になれなくても,ふと思い出されたときに役に立ってるようなこともあるのかもしれない。 だからこそ,自分が去った後に何かを残すかのように生きなきゃいけないんだなと思った。 他人が何をしてくれるだろうかと考え

    誰を助けることもできないけれど。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2017/06/19
    何かを残したい、みたいな感覚はないけど、人類の進歩になんらかの貢献をするのはお役目、みたいに感じてる
  • 選択肢を選ぶということ。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    inujin
    inujin 2016/12/08
    「「進める」ということが,どれだけの運と能力とタイミングが必要か,もう分かっているから」
  • 「好きなように生きる」ということ。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    素敵記事の真ん中に突如自分が出てきて,読後感がすっかり変わってしまった。それでもいぬじん(id:inujin)さんの言葉の魅力は変わらない。 好きなように生きる、というのは、自分だけの特別なレンズをとおして世界を見つめる、ということだ。 他人にとってはつまらない光景やどうでもいい場面であっても、その人が大切にしているものを通してのぞけば、まったく違う世界が見えてくる。 それが甘んじるなさんにとっては「お茶」である。 彼女はこの世界を「お茶を入れるのにふさわしい場所」としてとらえなおすことができるのだ。 そうすることで、平凡な河原も、退屈な路地も、そして自身の生活も、すべてが彼女の好きな「お茶」を成立させるためのフィールドとなるのである。 出世に、失敗しました。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。 名実ともに出世に縁のない私だけど,「好きなように生きる」ことに関して,この文脈で私が登場した

    「好きなように生きる」ということ。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2016/05/08
    「何をしたとしても大変だろうけど,「好きなこと/もの」について考えていられない方がもっと大変だ」
  • 手にした石を据えることで,世界の構築に携わること。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    いまだにお茶を大好きだと言えない。好きと言った瞬間に言いたかったことと違うものになる,というのも懸念材料である。 先日パリ在住のブルガリア人女性からインタビューという形で質問をもらった。私の解答が英語からフランス語に翻訳されて,彼女のサイトに載るようである。「あなたにとって茶道とは?」っていう質問に,ちょうどフランス繫がりだし,サン=テグジュペリの「人間の土地」から引用して答えた。 「サン=テグジュペリは,“人間であるとは,(中略)手にした石を据えることで,自分が世界の構築に携わっていると感じることである”と言いました。私にとってお茶は,この文脈でいうところの“石”です。」 分かりにくいですね。イメージ画像(実物)としてはこんな感じで,小さい石(茶碗)を据えています。 お茶菓子を買って道具組みを考えるとき,お茶を点てるとき,野点するとき,お茶の写真を撮るとき,加工するとき,後から省みるとき

    手にした石を据えることで,世界の構築に携わること。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2016/03/29
    とても良い
  • 独りであるということ。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    もう二年近くも前のこと。それは三十代ぐらいの,働いている女性に人気の映画であるようだった。十九時過ぎに単館上映の映画館に駆け込むと,左右の席にゆとりを持たせて座る女の人が数人と,持ち込んだパンをべている女性の背中が目に入る。彼女らの両腕が持て余しているゆとりは,ひとえに彼女たちがそれぞれ一人で訪れていることから生まれている。彼女たちが創り出すその空間に,私もひっそり脇役として混ざることとなった。参加する資格は持っていた。 女の一人旅もまた目に付くものである。宿の女将さんに勧められたところが全て回らないお寿司屋さんだった場合,丁寧に教えてもらったのに結局行かないという選択はできるだろうか。その結果,地元民しか知らないようなお寿司屋さんに一人でお邪魔する羽目になった。ここでは人数ではなく当時二二歳という年齢の方が問題だったかもしれないが。 さらに上級になると,一人旅で訪れた先で単館上映の映画

    独りであるということ。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2016/03/08
    「一人でいても楽しい,そこに誰かがいても楽しい,という人間に勝るものはない」
  • もっとたくさんの人を愛せば良かった。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    店員さんと話してたときに「話さなかったら可愛いのにギャップありますね」と言われた。なんて失礼な,と思いながら「よく言われます。”黙ってろ”って」と返答する。 同じ学科の友達数人にその話をすると「喋らなかったらただの近寄りづらいお姉さんだよ」「絶対そんなたくさん友達いないよ?」とか言われた。 学科での存在感は限りなく薄いんだけど,あたしにはたくさん友達がいるだろうか?学科の子がそう言ったこと自体おもしろすぎる。他学部とか先輩とか,あたしの人間関係をその子が把握してる訳ではないだろう。人は虚像(イメージ)を生きているのだ。 * 人は虚像を生きている。実際よりも大きく見えたり小さく見えたり。予想より多くの評価を受けることもあるし,そうやって取りとめの無い話をする友達が学科にもいるくらいには「友達」に困っていない。友達って誰のことだと思う? 例えば自分の進路が人に言えるようなものでなかった場合,あ

    もっとたくさんの人を愛せば良かった。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2015/02/23
    お互いにカッコ悪いところを見せあえて、だけど自負は譲らない、そんな関係っていいなあ
  • どうして茶道をしているの。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    先日お茶を点ててたとき「前はお点前がチャカチャカしてたのにね」って言われて,なぜか「あたしはこの茶道部が好きじゃないかもしれない」と感じた。内輪のサークルなのでお茶室の中でもみんな普通に喋ってるわけだけど,そのときは「お点前してるときに,誰も私に話しかけるな」みたいな感覚になってしまった。茶道部が終わると,なんだかひどく疲れた気持ちになり,それでも今日一日を終えたくないような欠乏感がある。 なんで茶道をしているのだろう。 不思議なもので,毎日お茶は家で点て続けてるし,お茶会があれば出向く。英語版のアカウントで自分のお茶や茶碗に対して海外から反応をもらったり,お茶会で思いがけない体験をしたり,「茶人」である楽しさは,独りであっても,その茶道部にいなくても味わえるのだ。問題は「茶道」をする煩わしさのようなものを「茶道部」の中で感じてしまうこと。 * 自分が「茶道」をしている理由も失ったまま,足

    どうして茶道をしているの。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2014/10/22
    たしかに部活で一期一会実践するのむずかしそう/ぼくは毎日を一期一会ですごせているかなあ
  • 人生はたいてい続くから,助かる。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    自分が選んだ決断の重さなんて分からないのは,決断した時点ではまだ何の重みも持ってないからだろう。1年経ってようやく分かるようになったのは,失ってきたものの中でも一番重いものの重み。失ってきたもの全部の重みなんて感じていられなかった。一番重いものの重さも,何も感じてない顔をしていた。 実際には,「あたしが失ったものの中で一番重いもの」に責められたことはほんの一言も無い。むしろ「ほんとに俺のこと思って言ってるんだね」って言われて1年以上経った今でも同じこと。 「時間は限られていて大変だろうけど,今感じてる苦労を味わえるのはそれを体験している自分だけと思って,楽しみつつその試練乗り越えていってね」 と付け加えた彼は,1年ぶりに連絡が来たとは思えないほど何かを分かってるかのようで。今も遠くに住んでるし相手はSNSもしてないけど,5年間あたしといただけのことはある… その相手は今不幸かもしれない,と

    人生はたいてい続くから,助かる。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2014/06/17
    Markに色々すすめたい本ある
  • 「憧れない、ちから。」を読みました。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    憧れない、ちから。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。 いぬじんさんのブログに感想を書くなんて恐れ多いのですが,そして慣れていなさすぎてどうリンクを貼ればいいのかも分かっていませんが,あまりに膝を打ちすぎたので思ったことを赴くままに書いてしまいます。いぬじんさんの意図と多いにずれてしまうかもしれないことを先にお詫びします。 * 今まで,特に自分がくすぶっているとき,”そうなりたい人”がいないことが原因だろうかと思うことがあった。尊敬してる人は誰かよく訊かれるので,答えられるように準備してはいるものの全員男性で,特に女性に対してこの人みたいになりたいと思うことが無い。「憧れの人」がいないということは,到達したい地点が定まっていないことと同義なのではないかとも思っていた。 なんのコネもなく今住んでいる場所に来た最初の1〜2年間,年上の人に「よくしていただいた」。いぬじんさんの言葉を拝借すると

    「憧れない、ちから。」を読みました。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2014/04/12
    自分の力で歩いている人なら「憧れ」も後押しになる
  • 自己肯定感が無いと恋愛もできない。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    将来自分がどう生きるかを決めることもできなければ,今自分がどう生きるかを決めることもできない。遠い将来を決めかねているように見えて,もっと近い部分に躊躇してる。 卑屈な考え方というのは面倒で,「この程度のあたし」を好きな人間はその程度だ,と思ってしまう。相手に失礼だと思いつつそう思う。憧れることはあっても,自分より遥か高いところにいる人間を現実的な恋愛対象にしないだろう,っていう考え方が根にある。自分よりキラキラしてる人間といるとその人を羨ましく思う心理もあるし,自分自身に余計自信がなくなったりする。イケメンと付き合ってる自分に自信を持つ場合もあるかもしれないけど,いやそれは自身の魅力とは別でしょう。自分の尊厳を保って生きられるようにというか,平生の自分を保てるように,自分とそう遠くない人を好きになるものなんじゃないか。「この人はあたしにはもったいない!」とか思ったとしても,それでも自分

    自己肯定感が無いと恋愛もできない。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2013/10/16
    受け入れて、進んでいく。ほんと人生その繰り返しだと思います
  • 言葉を盛る必要はない。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

    「茶の湯とは ただ湯を沸かし 茶を点てて 飲むばかりなる ものと知るべし」 と言った利休は確かに正しい気がしている 茶道に関するを読めば読むほど 過大評価のような気もしてくるのです。 ただの審美主義ではないし,個の確立ができるし,自然と生きることも, 俗世から解放されたかのように生きることも可能。 自分もその「すごみ」に興味を持ち,研究対象にしようとしている それでも,茶道は何かの唯一の方法であるとは断言できないし証明できないし しようとも思わない。 茶道が絶対だとは微塵も思ってない でも「茶道なんか」と言われればカンに障る自分も確かにいて 良さを説明できるようになりたいから茶道をもっと知る必要がある。 そうやって研究していくうちに, 茶道絶対主義になってしまったら,それは嫌だ。 これは自分の恋愛関係にも言えることで どんなに好きな人間でも大嫌いな部分があるし,意味もなく腹立たしい部分が

    言葉を盛る必要はない。 - それでもまだ奇跡の起こっていない人へ
    inujin
    inujin 2013/07/20
    そう思う。僕も、「言葉は、言葉でしかない。」と思って暮らしています。
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