江戸時代につくられた素掘りの放水路。 この地帯一体が余呉川の洪水により度々水害に襲われていたため、山をくり抜いて琵琶湖へ直接川の水を放水しよう!と村のお坊さんを中心に村人が金を出し合って能登や伊勢の石工を雇い、作った水道。 最初に坊さんがやろう!と提案したときは、村人賛同せずで流れたが、大豊作の年に、もう一回坊さんが提案したら村人が賛同し、着工になったそう。信念大事。
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