タグ

2019年12月11日のブックマーク (5件)

  • アシカとアザラシは祖先が別 それぞれの事情で海に適応 福山大グループが解明(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    福山大生命工学部生物工学科の佐藤淳准教授(進化生物学)の研究グループが、共通の祖先から分かれたと考えられてきたアザラシ、アシカ、セイウチの遺伝子の分析から、アザラシの祖先だけ別の過程で陸から海へ進出した可能性があるとする論文を発表した。同じ陸の生き物から進化したと考えられてきた水族館の人気者たちが、実はルーツを異にする動物だったことを示唆する研究結果に、水族館のベテラン飼育員も関心を示している。 アザラシ、アシカ、セイウチの仲間は「鰭脚(ききゃく)類」と総称される海生哺乳類。耳たぶがなく腹ばいで移動する「アザラシ科」▽小さな耳たぶがあり、前後の脚で体を起こして歩く「アシカ科」▽大きな牙を持つ「セイウチ科」――など、主に体の特徴で分類されている。 佐藤准教授によると、これまでは3000万~4000万年前にイタチの仲間から分かれた後、陸上で暮らしていた祖先が海に進出し、時間をかけてそれぞれの形

    アシカとアザラシは祖先が別 それぞれの事情で海に適応 福山大グループが解明(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
    ipinkcat
    ipinkcat 2019/12/11
    収斂進化って言葉をブコメで知った。
  • つかれた 長文追記

    なんで、うまくいかないの 上の子は集団登校の集合時間の5分前までパジャマのままミカンの薄皮をずっとむいてる 朝の準備は自分でするって約束したし、遅れても自己責任で、って昨日話したから見守ってたけど、最終的にブチギレてしまった。 下の子は保育園に行きたくないってずっと泣いてる 今日は無理だからでも早めに迎えに行くからって、来週の月曜日なら休めるし、そもそもあと3回行ったら土曜日で休みだから今日はがんばろって言っても聞いてくれない。結局怒鳴って、じゃあもう家に1人でいてね!って言ってそれでやっと着替えてくれる。 今日は結局1時間も遅れた 私が半泣きで怒鳴って、こどもたちも泣いて、もういや 毎日やってる。疲れた。 私が悪いの?どうやったらいいの?わかんない 追記 みんな余裕なさすぎとか言うけど、金も時間もない人間が余裕を生み出す方法を具体的に教えてください。今日から実践するので可及的速やかに。

    つかれた 長文追記
    ipinkcat
    ipinkcat 2019/12/11
    お疲れさまです…
  • 「多少叩いても虐待扱いしないで!」 車道に飛び出す子どもに悩む母親 「1万回言っても無理なもんは無理」 - 弁護士ドットコムニュース

    弁護士ドットコム インターネット 「多少叩いても虐待扱いしないで!」 車道に飛び出す子どもに悩む母親 「1万回言っても無理なもんは無理」

    「多少叩いても虐待扱いしないで!」 車道に飛び出す子どもに悩む母親 「1万回言っても無理なもんは無理」 - 弁護士ドットコムニュース
    ipinkcat
    ipinkcat 2019/12/11
    男児は楽しい事があれば所構わず騒いで走るから本当に危険。我が子は発進する園バスに向かって「競争だー!」って言いながら飛び出した事もあったし…。そういう時はビンタして鬼の形相で注意したよ。
  • 「ご立派でした」科学への扉開いた女性教師 吉野彰さんへ | NHKニュース

    ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰さんは、化学に興味を持つきっかけが、大阪の吹田市立千里第二小学校に通っている時に、担任の教師からロウソクが燃える仕組みを科学的に解説した、『ロウソクの科学』を薦めてもらったことだったと、会見などで紹介しています。 ノーベル賞の授賞式に出席するため訪れているスウェーデンのストックホルムでも、吉野さんは「ノーベルレクレチャー」と呼ばれる記念講演や現地の日人学校を訪れた際など折に触れてこのエピソードを紹介しています。 吉野さんはことし10月のNHKのインタビューの中で、を薦めた当時の担任が女性の新任教師で名前が「内藤先生」だったと記憶していると話し、「私の好奇心をくすぐっていただきました。ノーベル賞につながりました。先生がご存命でしたら、ぜひお会いしたいです」と話していました。 NHKが吉野さんの同級生や、小学校の関係者、当時の記録などを元に取材を進める

    「ご立派でした」科学への扉開いた女性教師 吉野彰さんへ | NHKニュース
    ipinkcat
    ipinkcat 2019/12/11
    いい話
  • 玉澤徳一郎へ https://tamazawatokuichiro.com/

    私と玉澤と吉田君は、盛岡一高の柔道部の同期として青春を共にした。玉澤は早稲田大学に進学し、昭和44年の衆議院選へ出馬することになる 早稲田大学に進学した玉澤は、M・R・A(道徳再武装)という団体に入信、没頭して約2年間休学し、中南米を演劇等して回っていた。そんな玉澤の大学院時代に、私は、親も出さなかった学費を、手をドロにして野菜を作り、かせいだ金を願われるまませっせっと送っていた。 大学院を卒業後の昭和44年、衆議院選挙に出馬することになると、私は事務局長として、吉田君と共に選挙活動を行うことになった。 投票日の夜、太田橋の下で事務所の紙類を全部燃した。 バラマキメモは隠し持ってた。何が起きても、玉を守るの一念からである。一万八千の得票であったが、小生誰も出来ないことを、やってのけたの気分で誇りであった。投票の翌日文章違反が一つ出た、来たなと思い、バラマキメモを水で溶かしトイレに流した。

    ipinkcat
    ipinkcat 2019/12/11
    昭和の怪文書?インターネットアーカイブで残るのが21世紀っぽくていい