糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場 ––––。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪本社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。 写真の購入はこちら朝日新聞フォトアーカイブ
![沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4af4f4860d762a3766aa66c4fb3c41fb3629c0d1/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Fspecial%2Fokinawa%2Foldphoto%2Fimages%2Fparts%2Fokinawa_og.jpg)
沖縄戦で消失した円覚寺の9建造物の詳細な平面図を記した図面7枚が、17日から首里城公園内で一般公開される。戦前、戦後と守礼門の修理や復元などに尽力した森政三(まさぞう)氏(1895~1981)のコレクションの中に所蔵されており、2013年までに確認された。 これまで円覚寺については田辺泰著「琉球建築」に寺域全体の平面図しかなかった。今回公開される図面は、寸法まで細かく記載されており、発掘調査や写真資料と照合することでより正確な復元が可能となる。県は円覚寺三門(山門)の復元を目指しており、2014年度に県教育委員会が行った三門復元の基本設計に反映させた。 図面はいずれも縦約53センチ、横約77センチ。三門のほか総門、方丈、方丈橋、鐘楼、仏殿、開山堂、左脇門、右脇門が描かれている。沖縄美ら島財団総合研究センターの上江洲安亨学芸員は「図面は森が来沖した1936年以前に作製されたと思われる。発掘調
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