自分が篠原有司男の名前を知ったのは 「反芸術アンパン」「東京ミキサー計画」という本だった 1960年 前衛芸術家、赤瀬川源平や荒川修作が 「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成 読売アンデパンダン展を砦にやりたい放題の記録 こちらのマンガがはやわかり 「NEO DADA」ビラの男は吉村益信 右下、帽子が升沢金平 胸に電球をくくりつけている 「なかでも仙台高校サッカー部出身の升沢金平(現在ニューヨーク滞在)が自分のフトンから引っぱり出した綿を床に拡げ真中に小便をした「帝国ホテル」と題する作品には、さすがのぼくもあいた口がふさがらなかった。 作品に火をつけたり、墨汁をぶっかけ合い、公園の池に飛び込んで体を洗う。 常に二日酔いのぼくらにさすがの東京都公園課も会場費をつっ返し画廊を閉鎖してしまった。 銀座が近いのでぼくらは毎日奇ばつな格好でデモった。 電球をたくさんぶら下げたマントを着た金平