吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』は、若い頃なんとなく避けていたけれど、三十半ばを過ぎた頃、読んでみて、こんな面白い本はないというくらい引き込まれた。噛めば噛むほど味が出てくる本という気がする。 吉本隆明の文章は、独得の用語と体系のなかで意味をもっている。どんな文章についても同じことがいえるとしても、『マス・イメージ論』のような書物に関して、とりわけそのことが注意されねばならない。むろんそれは本書をよりよく理解するための注意書きではない。本当は、私は本書をまったく理解できないのだ。本書を了解するためには吉本氏の「体系」を受けいれなければならないが、その気がまるでないからである。 (柄谷行人「モダニティの骨格」『批評とポストモダン』) たしかに、その言葉の使い方は癖が強く、アクも強く、読みにくいったらありゃしない。けれど、不思議に、読んでいて楽しい。『源氏物語論』や『論註と喩』の文章の気