ブックマーク / dajya-ranger.com (1)

  • 【実は愛国者だった】太宰治にとって「戦後」とは何だったのか?

    先日の「憂国忌」当日、Twitterを見ていて思うことがあった。 圧倒的大多数が憂国忌を知らないか、三島由紀夫の単なる「命日」「自殺した日」ぐらいの認識しかないようだった。中には憂国忌だと知ってツイートをしている人も探せばいたが、かなり少数だったのは否めない。 Twitterにはあんなに愛国保守勢がいて、また反日左派勢がいるのに、どちらからも綺麗サッパリ三島由紀夫を忘れたかのようであり、私は驚きを隠せなかった。 いわんや太宰治に至っては、その文学も含めて誤解されたままだろう。まずは太宰治に関して、少なくとも太宰治真理教の信者を自認する私が声を挙げずにどうするのか?と思ったのである。 ザックリ太宰治とは?青森県屈指の大地主で素封家として知られ、北津軽郡金木村(現・五所川原市金木町)で「金木の殿様」と呼ばれた津島家の第十子、六男として太宰治(名:津島修治)は生まれた。 明治42年6月19日の

    【実は愛国者だった】太宰治にとって「戦後」とは何だったのか?
    isekaijp
    isekaijp 2021/06/24
  • 1