「安心社会から信頼社会へ(感想)」より。 この本は一冊かけて「人を信頼する人は愚か者か?」という問いを考えている。結論は、「そういう人が愚か者かどうかを決めるのは社会の型によって決まる」となっているのだが、その結論近くに出てくる議論が非常に興味深かったので紹介したい。 著者は文化というものを「共有された心の性質」として理解する方法と「社会のしくみ」として理解する方法のふたつがあると指摘する。そして前者でだけ文化を理解するやり方を「心過剰の文化理解」と呼び警鐘を鳴らす。 心過剰の文化理解の例として取りあげられているのが、差別である。心が行動の原因であるという直感的な前提に基づくなら「差別は偏見という心の性質が生み出す現象」として考えられる。たとえば日本において男女差別がいまだに強く残っているのは、男尊女卑的な偏見を人々の間に植え付けてきた伝統的な日本文化に原因があるということになる。しかし、