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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • 絲山秋子・豊崎由美に答える - jun-jun1965の日記

    オタどんに教えられて、書店へ行ったら、まだ先月3月号の『の雑誌』があったので、絲山秋子+豊崎由美の対談を読んだら、おお私の名前が出てくる。 絲山氏が、私がアマゾンのレビューで石川淳の『紫苑物語』に「誹謗中傷」めいたことを書いている、と口火を切っている。引用はないのだが、こういうものだ。 石川淳のどこが面白いのだろうか, 2009/1/28 石川淳は、フランス語、漢文ができてすごいが、それだけで、小説は面白くない、と言われて久しい。この「紫苑物語」を私は高校時代に読んで、こういう小説なら書けるかもと思ったが、要するに高校生の空想程度のものでしかないということだ。それでも石川淳が消えずに残っているのは不思議だが、もしかすると高校生が読んでいるのだろうか。大人の読みものとはとうてい言えない。非リアリズムも結構、泉鏡花くらいになれば見事なものだが、石川淳というのは非リアリズムのダメなほうの例とし

    絲山秋子・豊崎由美に答える - jun-jun1965の日記
  • 「蜘蛛の糸」の元ネタ - jun-jun1965の日記

    作家の小林信彦について調べていたら、小林信彦(1935− )という学者の論文を見つけた。この人はインド古典学専攻で京大教授だった人である。 http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008638439 芥川龍之介の小説というのは、『中島敦殺人事件』にも書いたが、元ネタのあるものが多い。ここでは、「蜘蛛の糸」がポール・ケーラスというドイツ人の作を元ネタとしているが、ケーラスは、「これは俺の糸だ」とカンダタが叫ぶのを、「アートマン」(我)の実在を信じていることが明らかになったとし、それゆえに蜘蛛の糸は切れたとしているのを、芥川が理解していなかった、という論である。 しかしこの副題も変だが、論文として読んでいて妙で、長尾佳代子(1966- )という京大で梵文学を修めた人がそのことを発見して発表した経緯などが長々と書

    「蜘蛛の糸」の元ネタ - jun-jun1965の日記
  • 今は昔、男ありけり - jun-jun1965の日記

    まとめ 1993年 吉澤夏子が『フェミニズムの困難』を刊行。当時38歳。ラディカル・フェミニズムには未来がない、というような批判で、フェミニストの間で評判が悪かったが、男たちには受けた。 1997年3月、同『女であることの希望』を刊行。アンドレア・ドウォーキンが『インターコース』で、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の市電』を論じて、あらゆるセックスは強姦である、と主張した、と言われていたのに対して反論し、ブランチはひどい目に遭わされて狂気に陥るが、愛のあるセックスはあると信じていたことが尊いと主張し、ラディカル・フェミニズムを批判。これも、男たちに受けた。 同年10月、私が、二つのの題名を併せて『男であることの困難』を刊行。中でフェミニズムを批判し「一夫一婦制は最高の家族制度である」として、結婚否定のフェミニストを批判。 1998年5月、『ちくま』で上野千鶴子が「宮台真司氏の「偏向

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