タグ

ブックマーク / noiehoie.hatenadiary.org (2)

  • パワポ不況 - 麻布論壇

    ブクマにも書いたけど、こっちで補足。 ディリーポータルZ:東京の看板が、白かった 確かに、景況感が冷え込んでいるために広告業界はどこもかしこも痛い目にあってる。白い看板がふえたのも、単純に考えると、「不況の影響で企業が広告予算を減らしているから」とも言えなくない。 でもねぇ。 リーマン的な発想からいうと、これ、予算「額」のせいじゃない。 リーマン諸氏には御共感いただけるとおもうが、もし諸氏が、社内の広報部等にいて、新しい広告の企画を社内で通そうとしたとき、いまどき、「屋外看板だしましょう!」的な企画書書く? おそらく、「WEBにバナーだしましょう」「Yahooのトップページの一区画をN万円で買いましょう」とかいう企画書を書くんじゃね? そっちのほうが、通り易いし、だいいち、書き易いでしょ。パワポでどんな絵をかけばいいかもすぐに頭に浮かぶ。 以上は、ブクマにも書いた事。以下が補足。 直感と肌

    パワポ不況 - 麻布論壇
    islecape
    islecape 2009/12/26
    道具が発想を規定する、と。
  • 学生よ! もっと暴れろ!!  - 麻布論壇

    就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で−北海道新聞について、ブクマのコメントでは書き足らないので思うところを補足。 「大学は出たけれど」と言う言葉が、初めて流行語になったのは、小津による同名の映画が公開された、1929年つまり昭和4年の事。小津の「大学は出たけれど」は、極初期の作品でありながら、すでに「細やかに生活を描く」という後年の作風の片鱗を見せていてとても興味深いものであると同時に、昭和初年の日が誇る「軽やかなコメディー」を味わえる小気味のいい名画で、学生諸君にもこの映画を一辺見てみて、「邦画ってすげー」っていう実感を味わってもらいたいんだが、そんな話はさておく。 で、「大学は出たけれど」って言葉が流行ったのは、昭和4年。 昭和4年といえば、片岡蔵相の失言と東京渡辺銀行の取付騒動に象徴される昭和金融恐慌が発生してから二年。普通選挙実施の翌年。どうしようもない不況のどん底の中、政府は有

    学生よ! もっと暴れろ!!  - 麻布論壇
  • 1