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社会と日本人に関するisrcのブックマーク (2)

  • コーヒーを奢ってもらった話|松井博

    僕がアメリカを好きな理由って色々とあるのですが、そのうちの一つに、頻繁に遭遇するちょっとした親切があります。 前を歩いている人がドアを押さえていてくれたり、車がエンコして困っていると、すぐに誰かが止まって手伝ってくれるところなどです。その一方で日では考えられないような犯罪が頻発するのがとても困ったところなんですけどね。でもそれを差し引いても、アメリカにずっと住みたいと思うくらい、アメリカの好きな部分です。 そう言えば昨年10月に遠出した際にも、パンクしたタイヤを交換していたら通りかかったお兄ちゃんが颯爽と手伝ってくれました。手際いいのなんの、当に大助かりでした。 他人に親切してあげたい...。きっと日人も、多くの人がそんな気持ちを抱えていると思うんですね。でも、なかなかサラリとできなかったりします。あまりお節介だと思われたくもないですしね。 と言うわけで、今日は他人への親切へについて

    コーヒーを奢ってもらった話|松井博
    isrc
    isrc 2021/03/03
    日本人、他人に何かしてもらう、あるいは他人のために何かするという体験があまりにも少ない/他人にされたことがないから、する発想が湧かない/無理のない範囲で、少しずつ手伝う範囲を広げて行ったらいい
  • 日本人のイメージする「個人主義」と海外の「個人主義」は、明らかに違う気がする。

    漫画『ドラえもん』の世界で生きているのび太たちと、わたしが暮らしてきた世界は、ずいぶんちがう。 野球のボールが人の家の庭に飛び込んだとしても、「ごめんくださぁい」なんて声はかけない。 そもそも、ボールが人の家に入る可能性がある場所でボール遊びなんてしたことがない。かみなりさんのような近所のおじさんに怒鳴られたこともない。 地域によってもちろん大きな差があるだろうけど、昔に比べたらずいぶん『世間』が狭くなったのだなぁ、なんて思う。 『世間』が狭くなり孤独になるわたしたち 『世間』という言葉は『社会』と同じような意味に思えるが、実は『世間』には「自分の活動範囲」という意味もある。 たとえば「世間が狭いね」と言うのは、活動範囲が偶然かぶったことへの驚きだ。 『「空気」と「世間」』というでは、世間と社会の定義を、こんなふうにまとめている。 自分に関係のある世界のことを、「世間」と呼ぶのだと思いま

    日本人のイメージする「個人主義」と海外の「個人主義」は、明らかに違う気がする。
    isrc
    isrc 2018/08/18
    ドイツは『個』を重視するし、自立と自己判断を求められる。でもその一方で、日常的に多くの人が関わりあっている/日本では同じ集団に所属している人はみんな同じ舞台に立つ仲間/でもその『集団』という意識が弱く
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