高速道路の“安全神話”を揺るがした阪神・淡路大震災から25年を迎えるのを機に、阪神高速道路会社(当時・阪神高速道路公団)は、被災や復旧の経験をインタビュー映像に残す取り組みを始めた。震災後に入社した社員が6割を超え、「次世代に継承するため、生の声を今のうちに記録する必要がある」と担当者。他の震災資料と併せ、社内外で活用する。(田中真治) 「あり得ない光景」「なんでこんなことが起きるのかと、がくぜんとした」。震災後、神戸線復旧建設部の工事課長として現場を指揮した幸(ゆき)和範社長(72)は、インタビューで衝撃の大きさを振り返る。 震災では、神戸線が神戸市東灘区深江本町で635メートルにわたり倒壊し、湾岸線を含む計5カ所で落橋もあった。通行中のドライバーら16人が亡くなり、震災の発生した1月17日には毎年、兵庫県芦屋市大東町の慰霊碑で役員らが献花する。 未曽有の被害に工事量を測れず、工程表を作